夕映舎は、ひとの目線に立ってわかりやすく法務相談・起業支援を行い、ひとの自立を支援する事務所です。合言葉は「ひとが大事」「一億総社長」。

夕映舎日記

インド日本友の会 クンナ・ダッシュさんを訪問しました(ルビつき記事)

2012年02月07日

DSCN0061

夕映舎ゆうえいしゃは、2012年にせんじゅうにねん2月にがつ5日いつか日曜日にちようび)、奈良県ならけん大和郡山市やまとこおりやましにあるインド料理店りょうりてん「サンタナ」を訪問ほうもんして、店主てんしゅで「インド日本にほんともかい」の設立者せつりつしゃであられるクンナ・ダッシュさんとおいしました。
訪問者ほうもんしゃは、夕映舎ゆうえいしゃ舎長しゃちょう住田正則すみだまさのり夕映舎ゆうえいしゃパートナーの小田光男おだみつお、およびヤマウラデザイン事務所じむしょ山浦一輝紀やまうらひでき三名さんめいでした。
うえ写真しゃしんで、みぎから住田すみだ山浦やまうら、クンナ・ダッシュさん、小田おだ。)

クンナ・ダッシュさんにわたし小田おだ)がはじめておいしたときの印象いんしょうは、「時代劇じだいげき松平健まつだいらけんてるな!」でした。
あとでクンナさんのウェブサイトを拝見はいけんしたら、やっぱり松平健まつだいらけんのそっくりさんとしてテレビにもておられた。
日本人にほんじんにとってインドじんけば、たいていはだくろ人々ひとびとであるという先入観せんにゅうかんがあります。
しかし、実際じっさいのインドじんは、きわめて多様たよう人々ひとびとです。クンナさんのような、一見いっけんすると日本人にほんじんのイメージするインドじんえないかたが、精力的せいりょくてき日本にほんなかでインドを紹介しょうかいし、インドと日本にほんのつながりのひろめようとしておられる。わたしたち日本人にほんじんは、インドというスケールのおおきなくにはまた多様たようおくふかいのだ、ということをもっとらなければならないでしょう。

DSCN0049

サンタナ」は、現在げんざい大和郡山やまとこおりやま市内しない2店にてんあります。
一店いってんはJR郡山こおりやま駅前えきまえにあり、ヨガ教室きょうしつ併設へいせつされています。
今回こんかいわたしたちがクンナさんとおいしたのは、もう一店いってん発志院町ほっしいんちょう店舗てんぽです。
ちょっと電車でんしゃくのは不便ふべん位置いちなので、わざわざスタッフのかたくるまでおむかえしていただきました。

DSCN0053

「サンタナ」の本式ほんしきインド料理りょうりをいただきながら、午後ごご1時いちじから5時ごじまでのなが時間じかんわたって、わたしたち三名さんめいはクンナさんとおはなしさせていただきました。

むずかしいはなしはまずいといて、なにはともあれ日本人にほんじんにとってのインドの魅力みりょくは、カレーでおなじみのインド料理りょうりです。
最初さいしょに、さむだったので、カップ一杯のマサラチャイをいただきました。
マサラチャイとは、インドしきのミルクティーであるチャイに、スパイスの風味ふうみかせたものです。
スパイスのほのかな刺激しげきがおちゃあまみとよくって、たいへんな美味びみでした。

DSCN0052

つぎに、これもおなじみのタンドリーチキン、それからさかなまめのフライがされました。
まめのフライは、インドの『かきげ』。インド料理りょうりはカレーばっかりとおもわれてるけれど、このようにもっといろいろあることを、みなってもらいたいですね」とクンナさん。

DSCN0055

ナンはインドしきのパンで、これもすでに日本にほんでおなじみです。
しかし、クンナさんのみせでは、このナンを生地きじにしたピザをメニューにしています。うしろはほうれんそうのカレーです。
クンナさんは、関西かんさいから中京地方ちゅうきょうちほうのスーパーマーケットと提携ていけいして、冷凍れいとうナンとクンナさんのブランドの本格ほんかくインドしきレトルトカレーをおろしていて、現在げんざい事業じぎょう拡大中かくだいちゅうです。
日本にほんのカレーライスは、中身なかみちがうけれどベースは全部ぜんぶおなじ。インドのカレーは、こんなふうにいろいろないろあじがあるのです。こちらのカレーはトマトベースで、からくない。お子様こさまでもべることができる。今日きょうは、からくないカレーからちょっとからいカレーまで、そろえてあるよ。いまどきのレストランとか居酒屋いざかやとかは、ひとつのみせよう中華ちゅうかなんでもそろえるようになっている。むかしちがって、不況ふきょうでおきゃくさんがわざわざ専門店せんもんてんたかいおかねはらうよりも、やすみせませればいいじゃんとかんがえているからね。そんなところに、チェーンてんとかが各店かくてん本式ほんしきのインド料理りょうりいて、そこにナンを美味おいしくくインドじん職人しょくにんやとうようになれば、インドじん雇用こようわく一挙いっきょにできるよ。わたしなんかは、この事業じぎょうつうじてインドから料理人りょうりにんさんを日本にほん大勢おおぜいれてきましたよ。」

クンナさんは、日本にほん20年にじゅうねん。このかんいち経営者けいえいしゃとして着実ちゃくじつあゆんでこれられた。
そんなかれはなしは、終始しゅうしあしけた実業じつぎょうもとづいた、しっかりとしたものでした。
この日本にほん実業じつぎょうつうじてインドと日本にほんとのつながりをひろめるというテーマを実現じつげんさせようとする姿勢しせいを、クンナさんのはなしからかんじることができました。

山浦やまうらくんはトマトベースのカレーに、住田すみだくんはほうれんそうのカレーに、それぞれ舌鼓したつづみっていました。
されたナンとサフランライスは、カレーとともわたしたちの胃袋いぶくろつぎからつぎへと消費しょうひされていきました。

DSCN0058

クンナさんとわたしたちは、インドと日本にほんかかわりの現状げんじょう将来しょうらいから、わたしたちとのビジネスの話題わだいまで、長々ながながはな機会きかいもつつことができました。
日本にほん大学だいがくは、トップが学生がくせいあつめたいから、留学生りゅうがくせいびたいとう。だけど、ぶだけんで、4年間よねんかん満足まんぞくらせないんじゃ、たってしょうがないじゃん。留学生りゅうがくせいは、生活せいかつ学費がくひのために最低限さいていげんのおかねがいる。だけど、日本語にほんごができない学生がくせいかせぐことができる職場しょくばが、日本にほんにはない。授業じゅぎょうは、おおくが英語えいごでやってくれないし、日本語にほんごでやる授業じゅぎょうでも、せめて漢字かんじにルビをってくれたらよいのに、おおくの先生せんせいたちがそんな配慮はいりょをしたがらない。ましてや、字体じたいくずした特殊とくしゅ漢字かんじとか黒板こくばんかれたら、どうだろう?そりゃあ日本語にほんごれた日本人にほんじんならばわかるだろうけれど、留学生りゅうがくせいにはお手上てあげだよ。だから、ぼくはインドで日本にほんのことをおしえる学校がっこうにもかかわっているけれど、子供こどもたちにはハッキリう。日本にほん留学りゅうがくすると、苦労くろうするよ、ってね。」
クンナさんの言葉ことばに、わたし小田おだ)はこたえました。
日本にほんやとってくれる体制たいせいがなかったら、るにもれませんね。コンビニエンスストアとかのレジがかりならば、マニュアルでイラッシャイマセコンニチハだけっておけば、むずかしい日本語にほんごはいらない。全国ぜんこくのコンビニで、留学生りゅうがくせい積極的せっきょくてき雇用こようするようになれば、すくななくとも生活面せいかつめんでは、日本にほんまな条件じょうけんができあがるはずですね。」
しかしここまで小田おだったら、「コンビニの社長しゃちょうに、いがいる?」とクンナさんにわれてしまった。残念ざんねんながら、現在げんざい夕映舎ゆうえいしゃにはありません。クンナさんは、実業家じつぎょうかとしてあくまでも「自分じぶんいますぐにでもできること、自分じぶんにも相手あいてにもとくになる事業じぎょうであること。これをやるべきだし、これでなけりゃつづかないよ」と、わたしたちに指摘してきなさいました。
わたしは、大人おとなのインドじん日本にほんてもらう機会きかいつくるべきだとおもう。げんにこれまでもインドから料理人りょうりにんとして何人なんにんんでいます。大人おとな日本にほんしょくて、定着ていちゃくする。そうすると、やがて日本にほん所帯つ。子供こどもが、日本にほんそだつ。その子供こどもが、日本にほん学校がっこうはいる。こうやって、日本にほん定着ていちゃくするインドじんが、ろすことができます。インドでもね、うんと能力のうりょくのある子供こどもたちはアメリカの大学だいがくきます。インドにも、レベルのたか大学だいがくはいくつもあります。そんな子供こどもたちは、苦労くろうするだけの日本留学にほんりゅうがくなんか、えらばない。わたしは、それよりも日本にほんえば中小企業ちゅうしょうきぎょう家庭かていとかの出身しゅっしんで、意欲いよくはあるのに本国ほんごく十分じゅうぶんちから発揮はっきできない子弟していたちを、日本にほん留学りゅうがくさせる戦略せんりゃくのほうが有効ゆうこうだとおもう。そのためには、インドにながら日本語にほんご予備よび勉強べんきょうができるように、日本にほん学校がっこうから現地げんち教師きょうしおくんで子弟して募集ぼしゅう育成いくせいする必要がありますね、、、」

クンナさんとのあいだに、話題わだいきることがありませんでした。あっというに、ふゆれて、かえらなければならない時間じかんとなってしまいました。

「-ナマステ!(Namaste!, नमस्ते) ]
インドでは、両手りょうてわせてこの挨拶あいさつをするのが基本きほん。「ナマステ」の原義げんぎはサンスクリットで「ご挨拶あいさつします」という意味いみです。わたしたちは、クンナさんとスタッフのみなさんに、たのしい時間じかんごさせていただいたことを感謝かんしゃして、「ナマステ!」と両手りょうてわせました。

このように、クンナさんは実業じつぎょうつうじて、インドじん日本にほん招待しょうたいし、また日本人にほんじんにインドをしたしんでもらう事業じぎょうを、着実ちゃくじつすすめておられます。
そんなかれ日本にほん興味きょうみったきっかけは、ご父君ふくん経営けいえいされておられるホテルに宿泊しゅくはくする日本人にほんじん旅行者りょこうしゃはなし興味きょうみったことだといます。
少年時代しょうねんじだい日本人にほんじん旅行者りょこうしゃたちから、いろいろと日本文化にほんぶんかについておしえてもらった。かえおとずれる旅行者りょこうしゃには、日本にほんのことをるための文献ぶんけんなどをってきてもらうようにたのんだ。それで、まれた日本にほん情報じょうほうを、インドにいながら勉強べんきょうした。
それで、19歳じゅうきゅうさいのときに日本にほんにやってられたといいます。

以来いらい20年にじゅうねんです。
クンナさんは、だからもちろん日本にほんのことについて、くわしくっておられます。
クンナさんは、わるめんなどいたくはない、と前置まえおきしながらも、ひとつだけ日本人にほんじん不満ふまんてんを、げられました。
むかしゆめを、あきらめてしまうんだよね。わかころゆめっていたがそのとき実現じつげんできなかったひとでも、べつみちをたどりながらゆめかっているとかんがえなければならないんだ。だから、としってから条件じょうけんそろえば、ゆめ実現じつげんかうべきなんだ。なのに、日本にほんひとは『あれはわかころのことで、もうわったんですよ、、、』などと、すぐにあきらめてしまう。それがわたしには、からないね。」

日本人にほんじんは、あたらしいものを信仰しんこうのようにとうとこころっている。
日本料理にほんりょうりは、れたてのさかな山菜さんさいしぼりたての新酒しんしゅ収穫しゅうかくしたての新米しんまいを、いちばん重宝ちょうほうする。
そんな日本料理にほんりょうりは、日本人にほんじんあたらしいものをとうとこころと、原理げんりとして一致いっちしているとわたしおもいます。
日本人にほんじんあたらしいものをとうとこころは、世界中せかいじゅう最先端さいせんたんのものやめずらしいものを貪欲どんよく吸収きゅうしゅうする器用きようさの源泉げんせんとなっているはずです。
しかし、そのこころぎゃくめんとして、しゅんぎてふるくなったことにたいして、さっさとあきらめてしまう持続力じぞくりょくのなさをしていると、わたしおもいます。
クンナさんは、そんなあきらめのよい日本人にほんじんとはちがって、実業じつぎょうという着実ちゃくじつかくそだてながら、インドと日本にほんのつながりをふかめるという自分じぶん使命しめいばす活動かつどうひろつづけています。
インド料理りょうりは、スパイスというかく確固かっことしてち、そのかくから多様たよう料理りょうり展開てんかいしていく。
インドからまれた仏教ぶっきょうもまた、かくとなる教義きょうぎからはじまって、ほとけ多様たよう姿すがた展開てんかいする曼荼羅(まんだら)の世界せかいしめします。
インドじんこころもまた、インド料理りょうりているのだろうか、などと益体やくたいもないことを、わたしかんがえてしまいました。

小田おだ 光男みつお

インド日本友の会 クンナ・ダッシュさんを訪問しました。

DSCN0061

夕映舎は、2012年2月5日(日曜日)、奈良県大和郡山市にあるインド料理店「サンタナ」を訪問して、店主で「インド日本友の会」の設立者であられるクンナ・ダッシュさんとお会いしました。
訪問者は、夕映舎舎長の住田正則、夕映舎パートナーの小田光男、およびヤマウラデザイン事務所の山浦一輝紀の三名でした。
(上の写真で、右から住田、山浦、クンナ・ダッシュさん、小田。)

クンナ・ダッシュさんに私(小田)が初めてお会いしたときの印象は、「時代劇の松平健に似てるな!」でした。
後でクンナさんのウェブサイトを拝見したら、やっぱり松平健のそっくりさんとしてテレビにも出ておられた。
日本人にとってインド人と聞けば、たいてい肌の黒い人々であるという先入観があります。
しかし、実際のインド人は、きわめて多様な人々です。クンナさんのような、一見すると日本人のイメージするインド人に見えない方が、精力的に日本の中でインドを紹介し、インドと日本のつながりの輪を広めようとしておられる。私たち日本人は、インドというスケールの大きな国はまた多様で奥が深いのだ、ということをもっと知らなければならないでしょう。

DSCN0049

サンタナ」は、現在大和郡山市内に2店あります。
一店はJR郡山駅前にあり、ヨガ教室が併設されています。
今回私たちがクンナさんとお会いしたのは、もう一店の発志院町西の店舗です。
ちょっと電車で行くのは不便な位置なので、わざわざスタッフの方が車でお迎えしていただきました。

DSCN0053

「サンタナ」の本式インド料理をいただきながら、午後1時から5時までの長い時間に渡って、私たち三名はクンナさんとお話させていただきました。

むずかしい話はまず置いといて、何はともあれ日本人にとってのインドの魅力は、カレーでおなじみのインド料理です。
最初に、寒い日だったので、カップ一杯のマサラチャイをいただきました。
マサラチャイとは、インド式のミルクティーであるチャイに、スパイスの風味を効かせたものです。
スパイスのほのかな刺激がお茶の甘みとよく合って、たいへんな美味でした。

DSCN0052

次に、これもおなじみのタンドリーチキン、それから魚と豆のフライが出されました。
「豆のフライは、インドの『かき揚げ』。インド料理はカレーばっかりと思われてるけれど、このようにもっといろいろあることを、皆に知ってもらいたいですね」とクンナさん。

DSCN0055

ナンはインド式のパンで、これもすでに日本でおなじみです。
しかし、クンナさんの店では、このナンを生地にしたピザをメニューにしています。後ろはほうれん草のカレーです。
クンナさんは、関西から中京地方のスーパーマーケットと提携して、冷凍ナンとクンナさんのブランドの本格インド式レトルトカレーを卸していて、現在も事業拡大中です。
「日本のカレーライスは、中身が違うけれどベースは全部同じ。インドのカレーは、こんなふうにいろいろな色と味があるのです。こちらのカレーはトマトベースで、辛くない。お子様でも食べることができる。今日は、辛くないカレーからちょっと辛いカレーまで、揃えてあるよ。今どきのレストランとか居酒屋とかは、一つの店で和・洋・中華なんでも揃えるようになっている。昔と違って、不況でお客さんがわざわざ専門店で高いお金を払うよりも、安い店で済ませればいいじゃんと考えているからね。そんなところに、チェーン店とかが各店に本式のインド料理を置いて、そこにナンを美味しく焼くインド人の職人を雇うようになれば、インド人の雇用の枠が一挙にできるよ。私なんかは、この事業を通じてインドから料理人さんを日本に大勢、連れてきましたよ。」

クンナさんは、日本に来て20年。この間、一経営者として着実に歩んでこれられた。
そんな彼の話は、終始地に足を着けた実業に基づいた、しっかりとしたものでした。
この日本で実業を通じてインドと日本とのつながりを広めるというテーマを実現させようとする姿勢を、クンナさんの話から感じることができました。

山浦君はトマトベースのカレーに、住田君はほうれん草のカレーに、それぞれ舌鼓を打っていました。
出されたナンとサフランライスは、カレーと共に私たちの胃袋に次から次へと消費されていきました。

DSCN0058

クンナさんと私たちは、インドと日本の関わりの現状と将来から、私たちとのビジネスの話題まで、長々と話す機会を持つことができました。
「日本の大学は、トップが学生を集めたいから、留学生を呼びたいと言う。だけど、呼ぶだけ呼んで、4年間満足に暮らせないんじゃ、来たってしょうがないじゃん。留学生は、生活と学費のために最低限のお金がいる。だけど、日本語ができない学生が稼ぐことができる職場が、日本にはない。授業は、多くが英語でやってくれないし、日本語でやる授業でも、せめて漢字にルビを振ってくれたらよいのに、多くの先生たちがそんな配慮をしたがらない。ましてや、字体を崩した特殊な漢字とか黒板に書かれたら、どうだろう?そりゃあ日本語に慣れた日本人ならばわかるだろうけれど、留学生にはお手上げだよ。だから、僕はインドで日本のことを教える学校にも関わっているけれど、子供たちにはハッキリ言う。日本に留学すると、苦労するよ、ってね。」
クンナさんの言葉に、私(小田)は答えました。
「日本で雇ってくれる体制がなかったら、来るにも来れませんね。コンビニエンスストアとかのレジ係ならば、マニュアルでイラッシャイマセコンニチハだけ言っておけば、難しい日本語はいらない。全国のコンビニで、留学生を積極的に雇用するようになれば、少なくとも生活面では、日本で学ぶ条件ができあがるはずですね。」
しかしここまで小田が言ったら、「コンビニの社長に、知り合いがいる?」とクンナさんに言われてしまった。残念ながら、現在の夕映舎にはありません。クンナさんは、実業家としてあくまでも「自分が今すぐにでもできること、自分にも相手にも得になる事業であること。これをやるべきだし、これでなけりゃ続かないよ」と、私たちに指摘なさいました。
「私は、大人のインド人が日本に来てもらう機会を作るべきだと思う。現にこれまでもインドから料理人として何人も呼んでいます。大人が日本で職を得て、定着する。そうすると、やがて日本で所帯を持つ。子供が、日本で育つ。その子供が、日本の学校に入る。こうやって、日本で定着するインド人が、根を下ろすことができます。インドでもね、うんと能力のある子供たちはアメリカの大学に行きます。インドにも、レベルの高い大学はいくつもあります。そんな子供たちは、苦労するだけの日本留学なんか、選ばない。私は、それよりも日本で言えば中小企業の家庭とかの出身で、意欲はあるのに本国で十分力を発揮できない子弟たちを、日本に留学させる戦略のほうが有効だと思う。そのためには、インドに居ながら日本語の予備勉強ができるように、日本の学校から現地に教師を送り込んで子弟を募集育成する必要がありますね、、、」

クンナさんとの間に、話題は尽きることがありませんでした。あっという間に、冬の日は暮れて、帰らなければならない時間となってしまいました。

「-ナマステ!(Namaste!, नमस्ते)]
インドでは、両手を合わせてこの挨拶をするのが基本。「ナマステ」の原義はサンスクリット語で「ご挨拶します」という意味です。私たちは、クンナさんとスタッフの皆さんに、楽しい時間を過ごさせていただいたことを感謝して、「ナマステ!」と両手を合わせました。

このように、クンナさんは実業を通じて、インド人を日本に招待し、また日本人にインドを親しんでもらう事業を、着実に進めておられます。
そんな彼が日本に興味を持ったきっかけは、ご父君が経営されておられるホテルに宿泊する日本人旅行者の話に興味を持ったことだと言います。
少年時代、日本人旅行者たちから、いろいろと日本文化について教えてもらった。繰り返し訪れる旅行者には、日本のことを知るための文献などを持ってきてもらうように頼んだ。それで、持ち込まれた日本の情報を、インドにいながら勉強した。
それで、19歳のときに日本にやって来られたといいます。

以来、20年です。
クンナさんは、だからもちろん日本のことについて、詳しく知っておられます。
クンナさんは、悪い面など言いたくはない、と前置きしながらも、一つだけ日本人に不満な点を、挙げられました。
「昔の夢を、あきらめてしまうんだよね。若い頃に夢を持っていたがその時実現できなかった人でも、別の道をたどりながら夢に向かっていると考えなければならないんだ。だから、年を取ってから条件が揃えば、夢の実現に向かうべきなんだ。なのに、日本の人は『あれは若い頃のことで、もう終わったんですよ、、、』などと、すぐにあきらめてしまう。それが私には、分からないね。」

日本人は、新しいものを信仰のように尊ぶ心を持っている。
日本料理は、取れたての魚と山菜、搾りたての新酒、収穫したての新米を、いちばん重宝する。
そんな日本料理は、日本人の新しいものを尊ぶ心と、原理として一致していると私は思います。
日本人の新しいものを尊ぶ心は、世界中の最先端のものや珍しいものを貪欲に吸収する器用さの源泉となっているはずです。
しかし、その心の逆の面として、旬が過ぎて古くなったことに対して、さっさとあきらめてしまう持続力のなさを生み出していると、私は思います。
クンナさんは、そんなあきらめのよい日本人とは違って、実業という着実な核を育てながら、インドと日本のつながりを深めるという自分の使命を伸ばす活動を広め続けています。
インド料理は、スパイスという核を確固として持ち、その核から多様な料理に展開していく。
インドから生まれた仏教もまた、核となる教義から始まって、仏が多様な姿を展開する曼荼羅(まんだら)の世界を示します。
インド人の心もまた、インド料理と似ているのだろうか、などと益体もないことを、私は考えてしまいました。

(小田 光男)

RIP for Komatsu Sakyo/小松左京氏よ永遠に

2011年07月28日

今日、作家の小松左京氏が亡くなられました。享年八十歳の、大往生でした。
私は中学生時代、彼の作品『復活の日』を読んで、大いに感銘したものです。
小松左京氏の作品は、20世紀日本の財産の一つとして、今後も受け継がれることでしょう。

(アジアのとうふ代表 小田光男)

Today it is reported that a novelist Komatsu Sakyo passed away.
Rest in Peace, great science fiction teller.
When I was a junior high school student, I read his novel “Fukkatsu no hi” and was deeply impressed.
His pieces are a heritage of 20th century Japan and we will make them last for the coming generrations…

(Oda Mitsuo, President of “Asia no Tofu”)

FACEBOOKやってます

2011年07月15日

夕映舎のサイト管理担当の小田光男です。

サイト管理担当のくせに、社長の住田にせっつかされて、現在FACEBOOKに受動的に取り組んでいます。

受動的とはいえ、多少作りこんで育てたらまるで自分の子供のような気がして、いろいろと世話したくなってくるのは、サイトを作った経験のある方ならば共有できる感覚ではなかろうか、と思ったりします。

夕映舎サイトにも、流行りの「いいね!」ボタンを設置しました。
当サイトのユニークな新機軸として、日本語版ボタンと英語版ボタンを並列して、バイリンガルな「いいね!」ボタンにしてみました。「いいね!」は英語版だと「Like」ですね。複数言語を対象とするサイトなので、コードをちょいといじくって常に二ヶ国語のボタンが並んでタンデムする仕様にしました。(通常はPCの環境を自動的に読み取って、一ヶ国語表示のボタンしか出ません。)

こんなもん、ぜんぜん新機軸でもないし。

「いいね!」の数が表示されていくのは、昔のホームぺージには必ず実装されていた、なつかしのカウンターを思い起こさせますね。
あのカウンターが今日は何回回っただろうか、なんてことに一喜一憂した時代も、サイトを作った経験者ならば身に染みて覚えていることでしょうよ。
「いいね!」は、いわばネットワークと繋がって、広告機能を持ったカウンターだと思えば、話が早いかも。うむ、だんだん分かってきた。

夕映舎サイトおよびFACEBOOKページは、日本で働く外国人の皆さんのための窓口となることを心がけ、目指しています。
今後とも、よろしくお願いします。

(アジアのとうふ 小田光男)

ヴェトナム、俳句

2011年06月27日

麦酒は海
交趾と浪速
飲み渡る(*)

小田光男

ビアホール
異国のともと
飲み語る

夕映舎

(*)交趾(こうち)とは、ヴェトナム北部の旧称。日本と交趾とは「交趾貿易」を通じて歴史的交流があった。

上の俳句は、6月26日に大阪梅田のビアホールにて、私(小田)と住田氏(夕映舎代表)がヴェトナムから一時帰国された島津さんと会見して、ビールの興に乗じて詠ったものです。

島津さんはヴェトナム在住で、外国において日本人として生きる中で、これが日本だ、と紹介できるのは何だろうか、と考えられる。
そこで、私は「それは俳句じゃないでしょうか」と提案しました。以前私が韓国を旅行したときも、私は日本文化の代表として俳句を作って、現地の皆さんに贈りました。俳句は日本語を知っているならば誰にでも作りやすく、五七五のリズムに合わせるならば自然と詩ができる。上は、私のそんな提案に皆が乗って、閉店間際の店で作ってみたものです。

ヴェトナムは人口8400万人、最大都市のホーチミンは優に1000万を数える大都会です。
このヴェトナムはインドを発祥とする南アジア文化が優勢なASEAN諸国の中でも異質であって、中国を発祥とする東アジア文化圏に属します。中国文化の影響が大であり、宗教的な戒律や宗派的紛争があまりない点は、日本、韓国と共通しています。ヴェトナムは、東アジア文化圏の中では次に成長するであろう国だと私は思います。東アジア文化圏の他の国がことごとく経済的にテイクオフしている中で、ヴェトナムは次なる波を起こすために、待ち受けていることでしょう。この国の可能性は、きわめて大きい。


「Mot ha ba vo yeh!」


これは、ヴェトナム語での乾杯の言葉です。「Mot ha ba」は、ヴェトナム語で「一、二、三」のことです。ヴェトナム語は中国語と音韻と文法の構造が似ていて、一つ一つの発声ごとに意味があり、声調も備えています。

私や住田氏は、たまたまネットから私たちのサイトを知って連絡いただいた島津さんと、日本のビアホールでヴェトナムと日本についていろいろなことを、楽しく語り合いました。島津さんはホーチミン市在住で、言われるにはホーチミン市はかつてアメリカの影響を強く受けた歴史があるため、アメリカ文化への親近感が今でも強い。少し前までは、アメリカに移住したヴェトナム系アメリカ人が作成したアメリカナイズされたヴィデオが、大人気であったとか。しかし今やハノイなどで自前の番組が作られて、若い世代ではそちらの方に人気が移っているといいます。

ヴェトナムについて書かれた本としては、私は司馬遼太郎の「人間の集団について」(中公文庫)をヴェトナム戦争末期のサイゴン(戦争終結後、ホーチミンに改称された)を旅行したルポとしてまず第一に思い出し、次いで同氏の「アメリカ素描」(新潮文庫)が戦争後に大挙してロサンゼルスに移住したヴェトナム系アメリカ人のコミュニティーを80年代に訪れたルポとして、印象にあります。しかし、現代のヴェトナムは、司馬氏が訪れた時代から、さらに変わろうとしているはずです。

(アジアのとうふ代表 小田光男)


IMG_0088

IMG_0087

Information websites for 2011.3.11 earthquake / 2011年3月11日地震のための、情報収集サイトです。

2011年03月13日

Hello.

This is Yueisya, Public Consultant Office that carries out foreigners’ “Pension’s Lump-sum Payment”.

On March 11th, Japan was struck by a very powerful earthquake and tsunami, and they caused a serious damage in eastern Japan.
As of March 13th, we haven’t been able to get a picture how seriously we got a damage on the whole.
We report that our office “Yuesya” works as usual now.
We also inform you of useful websites for gatharing information in Japan.

(Japanese)
NHK Live streaming http://www.ustream.tv/channel/nhk-gtv
Facebook Page http://www.facebook.com/touhokujishin

(English)
Facebook Page http://www.facebook.com/pages/2011-Japan-Earthquake-Information-to-the-World/147119962018174?sk=wall

——————————————————————
こんにちは。

外国人のみなさまから「年金の脱退一時金」の手続代行を承っている、夕映舎 社会保険労務士事務所です。

3月11日に、日本はマグニチュード9.0の大地震と大津波に見舞われ、東日本で大きな災害を受けています。
今日3月13日現在も、その被害の全貌は、まだ明らかとなっていません。
私たち事務所は、無事に機能しております。
私たち事務所の健在を皆様にお伝えするとともに、日本で働く(働いていた)外国人の皆様のために、私たちから有益であると思われる情報サイトを、ご紹介いたします。

(日本語)
NHK実況配信:http://www.ustream.tv/channel/nhk-gtv
FACEBOOKページ:http://www.facebook.com/touhokujishin

(英語)
FACEBOOKページ:http://www.facebook.com/pages/2011-Japan-Earthquake-Information-to-the-World/147119962018174?sk=wall

Hina Matsuri

2011年03月02日

On March 3rd we hold “Hina Matsuri(ひな祭り)” in Japan.
This is the festival for all little girls.
On this day a Japanese family who has a little girl sets a stage called
“Hinadan(ひな段)” in the house.
On “Hinadan” elegant dolls dressed in ancient kimonos of Japanese imperial court are installed.
These dolls are called “Ohinasama(おひなさま)” or “Hina Ningyo(ひな人形)”.
Family members and friends gather and take traditional confectionaries
– “Hisimochi(ひし餅)” and “Hina Arare(ひなあられ)”.
And they drink sweet beverage made of fermented rice – “Amazake(甘酒)”.
Although authentic “Amazake” contains alcohol, girls’ beverage is prepared alcohol-freely, of course.
続きを読む…

日本が産油国になる日

2010年12月17日

あまりに素敵なニュースだったので、思わず転載してしまいました。
できるだけ早く、実用化に近づくことを願ってやみません。

【毎日新聞】
http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20101216rky00m040006000c.html

【朝日新聞】
http://www.asahi.com/science/update/1214/TKY201012140212.html

第三者評価

2010年11月08日

今日は、京都府北部の綾部市まで、介護施設の第三者評価をしに行ってきました。
・・・とはいえ、実態は他の経験豊かな調査員さんのお供でついていったような
ものですが・・・。

今日訪れたのは、聴覚障がいの高齢者向けの特別養護老人ホームでした。
全国でも、ほぼ例がないような珍しい施設です。
職員さんの情熱も伝わってきますし、調査に訪れておいてなんですが、大変よい
勉強をさせていただきました。

介護・福祉事業の末端部分をお手伝いさせていただいている私ですが、世の中には
まったくもっていろいろなことやものがあるものだと痛感します。

以前からつらつら思っていることですが、私もホームヘルパー2級をとろうかな~
どうにも、現場のことを間接的にしか理解できない自分に、もどかしさを感じますので・・・

日本列島は、梅雨の真っ最中です。

2010年07月04日

今の日本は、梅雨(つゆ)の季節です。

夏の始まりに、毎日のように雨が降り続いています。

日本列島の特徴を一つ挙げろと言われれば、私は雨が多いことだと答えます。

春の雨は、春雨(はるさめ)。

夏の初めに、梅雨(つゆ)。

夏に降るのは、夕立(ゆうだち)。

秋の雨は、秋雨(あきさめ)。

冬には、雨の変わりに雪が降ります。北風の当たる日本の北半分には、毎年大雪(おおゆき)が降り積もります。

日本で梅雨の季節の花といえば、紫陽花(あじさい)です。

紫色の陰気な花が、私のいる京都でも今は花盛りです。

この花は、日本が原産です。

古代の歌集『万葉集』にも、出て参ります。

ですが、この花は昔の日本人に、あまり愛されていたようには見えません。

この花を歌った俳句や短歌も、数は多くありません。

湿気の多い日陰に咲く姿が、忌み嫌われたのでしょうか。

日本でもこうして梅雨の花として大いに愛されるようになったのは、20世紀以降のことです。

(あじあのとうふ代表 小田光男)

次のページ »

TOPPAGEサイトの最初のページへ  TOPページの先頭へ