インド日本友の会 クンナ・ダッシュさんを訪問しました(ルビつき記事)
2012年02月07日

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クンナ・ダッシュさんに
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むずかしい
マサラチャイとは、インド
スパイスのほのかな

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クンナさんは、そんなあきらめのよい
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インド日本友の会 クンナ・ダッシュさんを訪問しました。

夕映舎は、2012年2月5日(日曜日)、奈良県大和郡山市にあるインド料理店「サンタナ」を訪問して、店主で「インド日本友の会」の設立者であられるクンナ・ダッシュさんとお会いしました。
訪問者は、夕映舎舎長の住田正則、夕映舎パートナーの小田光男、およびヤマウラデザイン事務所の山浦一輝紀の三名でした。
(上の写真で、右から住田、山浦、クンナ・ダッシュさん、小田。)
クンナ・ダッシュさんに私(小田)が初めてお会いしたときの印象は、「時代劇の松平健に似てるな!」でした。
後でクンナさんのウェブサイトを拝見したら、やっぱり松平健のそっくりさんとしてテレビにも出ておられた。
日本人にとってインド人と聞けば、たいてい肌の黒い人々であるという先入観があります。
しかし、実際のインド人は、きわめて多様な人々です。クンナさんのような、一見すると日本人のイメージするインド人に見えない方が、精力的に日本の中でインドを紹介し、インドと日本のつながりの輪を広めようとしておられる。私たち日本人は、インドというスケールの大きな国はまた多様で奥が深いのだ、ということをもっと知らなければならないでしょう。

「サンタナ」は、現在大和郡山市内に2店あります。
一店はJR郡山駅前にあり、ヨガ教室が併設されています。
今回私たちがクンナさんとお会いしたのは、もう一店の発志院町西の店舗です。
ちょっと電車で行くのは不便な位置なので、わざわざスタッフの方が車でお迎えしていただきました。

「サンタナ」の本式インド料理をいただきながら、午後1時から5時までの長い時間に渡って、私たち三名はクンナさんとお話させていただきました。
むずかしい話はまず置いといて、何はともあれ日本人にとってのインドの魅力は、カレーでおなじみのインド料理です。
最初に、寒い日だったので、カップ一杯のマサラチャイをいただきました。
マサラチャイとは、インド式のミルクティーであるチャイに、スパイスの風味を効かせたものです。
スパイスのほのかな刺激がお茶の甘みとよく合って、たいへんな美味でした。

次に、これもおなじみのタンドリーチキン、それから魚と豆のフライが出されました。
「豆のフライは、インドの『かき揚げ』。インド料理はカレーばっかりと思われてるけれど、このようにもっといろいろあることを、皆に知ってもらいたいですね」とクンナさん。

ナンはインド式のパンで、これもすでに日本でおなじみです。
しかし、クンナさんの店では、このナンを生地にしたピザをメニューにしています。後ろはほうれん草のカレーです。
クンナさんは、関西から中京地方のスーパーマーケットと提携して、冷凍ナンとクンナさんのブランドの本格インド式レトルトカレーを卸していて、現在も事業拡大中です。
「日本のカレーライスは、中身が違うけれどベースは全部同じ。インドのカレーは、こんなふうにいろいろな色と味があるのです。こちらのカレーはトマトベースで、辛くない。お子様でも食べることができる。今日は、辛くないカレーからちょっと辛いカレーまで、揃えてあるよ。今どきのレストランとか居酒屋とかは、一つの店で和・洋・中華なんでも揃えるようになっている。昔と違って、不況でお客さんがわざわざ専門店で高いお金を払うよりも、安い店で済ませればいいじゃんと考えているからね。そんなところに、チェーン店とかが各店に本式のインド料理を置いて、そこにナンを美味しく焼くインド人の職人を雇うようになれば、インド人の雇用の枠が一挙にできるよ。私なんかは、この事業を通じてインドから料理人さんを日本に大勢、連れてきましたよ。」
クンナさんは、日本に来て20年。この間、一経営者として着実に歩んでこれられた。
そんな彼の話は、終始地に足を着けた実業に基づいた、しっかりとしたものでした。
この日本で実業を通じてインドと日本とのつながりを広めるというテーマを実現させようとする姿勢を、クンナさんの話から感じることができました。
山浦君はトマトベースのカレーに、住田君はほうれん草のカレーに、それぞれ舌鼓を打っていました。
出されたナンとサフランライスは、カレーと共に私たちの胃袋に次から次へと消費されていきました。

クンナさんと私たちは、インドと日本の関わりの現状と将来から、私たちとのビジネスの話題まで、長々と話す機会を持つことができました。
「日本の大学は、トップが学生を集めたいから、留学生を呼びたいと言う。だけど、呼ぶだけ呼んで、4年間満足に暮らせないんじゃ、来たってしょうがないじゃん。留学生は、生活と学費のために最低限のお金がいる。だけど、日本語ができない学生が稼ぐことができる職場が、日本にはない。授業は、多くが英語でやってくれないし、日本語でやる授業でも、せめて漢字にルビを振ってくれたらよいのに、多くの先生たちがそんな配慮をしたがらない。ましてや、字体を崩した特殊な漢字とか黒板に書かれたら、どうだろう?そりゃあ日本語に慣れた日本人ならばわかるだろうけれど、留学生にはお手上げだよ。だから、僕はインドで日本のことを教える学校にも関わっているけれど、子供たちにはハッキリ言う。日本に留学すると、苦労するよ、ってね。」
クンナさんの言葉に、私(小田)は答えました。
「日本で雇ってくれる体制がなかったら、来るにも来れませんね。コンビニエンスストアとかのレジ係ならば、マニュアルでイラッシャイマセコンニチハだけ言っておけば、難しい日本語はいらない。全国のコンビニで、留学生を積極的に雇用するようになれば、少なくとも生活面では、日本で学ぶ条件ができあがるはずですね。」
しかしここまで小田が言ったら、「コンビニの社長に、知り合いがいる?」とクンナさんに言われてしまった。残念ながら、現在の夕映舎にはありません。クンナさんは、実業家としてあくまでも「自分が今すぐにでもできること、自分にも相手にも得になる事業であること。これをやるべきだし、これでなけりゃ続かないよ」と、私たちに指摘なさいました。
「私は、大人のインド人が日本に来てもらう機会を作るべきだと思う。現にこれまでもインドから料理人として何人も呼んでいます。大人が日本で職を得て、定着する。そうすると、やがて日本で所帯を持つ。子供が、日本で育つ。その子供が、日本の学校に入る。こうやって、日本で定着するインド人が、根を下ろすことができます。インドでもね、うんと能力のある子供たちはアメリカの大学に行きます。インドにも、レベルの高い大学はいくつもあります。そんな子供たちは、苦労するだけの日本留学なんか、選ばない。私は、それよりも日本で言えば中小企業の家庭とかの出身で、意欲はあるのに本国で十分力を発揮できない子弟たちを、日本に留学させる戦略のほうが有効だと思う。そのためには、インドに居ながら日本語の予備勉強ができるように、日本の学校から現地に教師を送り込んで子弟を募集育成する必要がありますね、、、」
クンナさんとの間に、話題は尽きることがありませんでした。あっという間に、冬の日は暮れて、帰らなければならない時間となってしまいました。
「-ナマステ!(Namaste!, नमस्ते)]
インドでは、両手を合わせてこの挨拶をするのが基本。「ナマステ」の原義はサンスクリット語で「ご挨拶します」という意味です。私たちは、クンナさんとスタッフの皆さんに、楽しい時間を過ごさせていただいたことを感謝して、「ナマステ!」と両手を合わせました。
このように、クンナさんは実業を通じて、インド人を日本に招待し、また日本人にインドを親しんでもらう事業を、着実に進めておられます。
そんな彼が日本に興味を持ったきっかけは、ご父君が経営されておられるホテルに宿泊する日本人旅行者の話に興味を持ったことだと言います。
少年時代、日本人旅行者たちから、いろいろと日本文化について教えてもらった。繰り返し訪れる旅行者には、日本のことを知るための文献などを持ってきてもらうように頼んだ。それで、持ち込まれた日本の情報を、インドにいながら勉強した。
それで、19歳のときに日本にやって来られたといいます。
以来、20年です。
クンナさんは、だからもちろん日本のことについて、詳しく知っておられます。
クンナさんは、悪い面など言いたくはない、と前置きしながらも、一つだけ日本人に不満な点を、挙げられました。
「昔の夢を、あきらめてしまうんだよね。若い頃に夢を持っていたがその時実現できなかった人でも、別の道をたどりながら夢に向かっていると考えなければならないんだ。だから、年を取ってから条件が揃えば、夢の実現に向かうべきなんだ。なのに、日本の人は『あれは若い頃のことで、もう終わったんですよ、、、』などと、すぐにあきらめてしまう。それが私には、分からないね。」
日本人は、新しいものを信仰のように尊ぶ心を持っている。
日本料理は、取れたての魚と山菜、搾りたての新酒、収穫したての新米を、いちばん重宝する。
そんな日本料理は、日本人の新しいものを尊ぶ心と、原理として一致していると私は思います。
日本人の新しいものを尊ぶ心は、世界中の最先端のものや珍しいものを貪欲に吸収する器用さの源泉となっているはずです。
しかし、その心の逆の面として、旬が過ぎて古くなったことに対して、さっさとあきらめてしまう持続力のなさを生み出していると、私は思います。
クンナさんは、そんなあきらめのよい日本人とは違って、実業という着実な核を育てながら、インドと日本のつながりを深めるという自分の使命を伸ばす活動を広め続けています。
インド料理は、スパイスという核を確固として持ち、その核から多様な料理に展開していく。
インドから生まれた仏教もまた、核となる教義から始まって、仏が多様な姿を展開する曼荼羅(まんだら)の世界を示します。
インド人の心もまた、インド料理と似ているのだろうか、などと益体もないことを、私は考えてしまいました。
(小田 光男)
RIP for Komatsu Sakyo/小松左京氏よ永遠に
2011年07月28日
今日、作家の小松左京氏が亡くなられました。享年八十歳の、大往生でした。
私は中学生時代、彼の作品『復活の日』を読んで、大いに感銘したものです。
小松左京氏の作品は、20世紀日本の財産の一つとして、今後も受け継がれることでしょう。
(アジアのとうふ代表 小田光男)
Today it is reported that a novelist Komatsu Sakyo passed away.
Rest in Peace, great science fiction teller.
When I was a junior high school student, I read his novel “Fukkatsu no hi” and was deeply impressed.
His pieces are a heritage of 20th century Japan and we will make them last for the coming generrations…
(Oda Mitsuo, President of “Asia no Tofu”)
FACEBOOKやってます
2011年07月15日
夕映舎のサイト管理担当の小田光男です。
サイト管理担当のくせに、社長の住田にせっつかされて、現在FACEBOOKに受動的に取り組んでいます。
受動的とはいえ、多少作りこんで育てたらまるで自分の子供のような気がして、いろいろと世話したくなってくるのは、サイトを作った経験のある方ならば共有できる感覚ではなかろうか、と思ったりします。
夕映舎サイトにも、流行りの「いいね!」ボタンを設置しました。
当サイトのユニークな新機軸として、日本語版ボタンと英語版ボタンを並列して、バイリンガルな「いいね!」ボタンにしてみました。「いいね!」は英語版だと「Like」ですね。複数言語を対象とするサイトなので、コードをちょいといじくって常に二ヶ国語のボタンが並んでタンデムする仕様にしました。(通常はPCの環境を自動的に読み取って、一ヶ国語表示のボタンしか出ません。)
こんなもん、ぜんぜん新機軸でもないし。
「いいね!」の数が表示されていくのは、昔のホームぺージには必ず実装されていた、なつかしのカウンターを思い起こさせますね。
あのカウンターが今日は何回回っただろうか、なんてことに一喜一憂した時代も、サイトを作った経験者ならば身に染みて覚えていることでしょうよ。
「いいね!」は、いわばネットワークと繋がって、広告機能を持ったカウンターだと思えば、話が早いかも。うむ、だんだん分かってきた。
夕映舎サイトおよびFACEBOOKページは、日本で働く外国人の皆さんのための窓口となることを心がけ、目指しています。
今後とも、よろしくお願いします。
(アジアのとうふ 小田光男)
ヴェトナム、俳句
2011年06月27日
麦酒は海
交趾と浪速
飲み渡る(*)
小田光男
ビアホール
異国のともと
飲み語る
夕映舎
(*)交趾(こうち)とは、ヴェトナム北部の旧称。日本と交趾とは「交趾貿易」を通じて歴史的交流があった。
上の俳句は、6月26日に大阪梅田のビアホールにて、私(小田)と住田氏(夕映舎代表)がヴェトナムから一時帰国された島津さんと会見して、ビールの興に乗じて詠ったものです。
島津さんはヴェトナム在住で、外国において日本人として生きる中で、これが日本だ、と紹介できるのは何だろうか、と考えられる。
そこで、私は「それは俳句じゃないでしょうか」と提案しました。以前私が韓国を旅行したときも、私は日本文化の代表として俳句を作って、現地の皆さんに贈りました。俳句は日本語を知っているならば誰にでも作りやすく、五七五のリズムに合わせるならば自然と詩ができる。上は、私のそんな提案に皆が乗って、閉店間際の店で作ってみたものです。
ヴェトナムは人口8400万人、最大都市のホーチミンは優に1000万を数える大都会です。
このヴェトナムはインドを発祥とする南アジア文化が優勢なASEAN諸国の中でも異質であって、中国を発祥とする東アジア文化圏に属します。中国文化の影響が大であり、宗教的な戒律や宗派的紛争があまりない点は、日本、韓国と共通しています。ヴェトナムは、東アジア文化圏の中では次に成長するであろう国だと私は思います。東アジア文化圏の他の国がことごとく経済的にテイクオフしている中で、ヴェトナムは次なる波を起こすために、待ち受けていることでしょう。この国の可能性は、きわめて大きい。
「Mot ha ba vo yeh!」
これは、ヴェトナム語での乾杯の言葉です。「Mot ha ba」は、ヴェトナム語で「一、二、三」のことです。ヴェトナム語は中国語と音韻と文法の構造が似ていて、一つ一つの発声ごとに意味があり、声調も備えています。
私や住田氏は、たまたまネットから私たちのサイトを知って連絡いただいた島津さんと、日本のビアホールでヴェトナムと日本についていろいろなことを、楽しく語り合いました。島津さんはホーチミン市在住で、言われるにはホーチミン市はかつてアメリカの影響を強く受けた歴史があるため、アメリカ文化への親近感が今でも強い。少し前までは、アメリカに移住したヴェトナム系アメリカ人が作成したアメリカナイズされたヴィデオが、大人気であったとか。しかし今やハノイなどで自前の番組が作られて、若い世代ではそちらの方に人気が移っているといいます。
ヴェトナムについて書かれた本としては、私は司馬遼太郎の「人間の集団について」(中公文庫)をヴェトナム戦争末期のサイゴン(戦争終結後、ホーチミンに改称された)を旅行したルポとしてまず第一に思い出し、次いで同氏の「アメリカ素描」(新潮文庫)が戦争後に大挙してロサンゼルスに移住したヴェトナム系アメリカ人のコミュニティーを80年代に訪れたルポとして、印象にあります。しかし、現代のヴェトナムは、司馬氏が訪れた時代から、さらに変わろうとしているはずです。
(アジアのとうふ代表 小田光男)
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Information websites for 2011.3.11 earthquake / 2011年3月11日地震のための、情報収集サイトです。
2011年03月13日
Hello.
This is Yueisya, Public Consultant Office that carries out foreigners’ “Pension’s Lump-sum Payment”.
On March 11th, Japan was struck by a very powerful earthquake and tsunami, and they caused a serious damage in eastern Japan.
As of March 13th, we haven’t been able to get a picture how seriously we got a damage on the whole.
We report that our office “Yuesya” works as usual now.
We also inform you of useful websites for gatharing information in Japan.
(Japanese)
NHK Live streaming http://www.ustream.tv/channel/nhk-gtv
Facebook Page http://www.facebook.com/touhokujishin
(English)
Facebook Page http://www.facebook.com/pages/2011-Japan-Earthquake-Information-to-the-World/147119962018174?sk=wall
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こんにちは。
外国人のみなさまから「年金の脱退一時金」の手続代行を承っている、夕映舎 社会保険労務士事務所です。
3月11日に、日本はマグニチュード9.0の大地震と大津波に見舞われ、東日本で大きな災害を受けています。
今日3月13日現在も、その被害の全貌は、まだ明らかとなっていません。
私たち事務所は、無事に機能しております。
私たち事務所の健在を皆様にお伝えするとともに、日本で働く(働いていた)外国人の皆様のために、私たちから有益であると思われる情報サイトを、ご紹介いたします。
(日本語)
NHK実況配信:http://www.ustream.tv/channel/nhk-gtv
FACEBOOKページ:http://www.facebook.com/touhokujishin
(英語)
FACEBOOKページ:http://www.facebook.com/pages/2011-Japan-Earthquake-Information-to-the-World/147119962018174?sk=wall
Hina Matsuri
2011年03月02日
On March 3rd we hold “Hina Matsuri(ひな祭り)” in Japan.
This is the festival for all little girls.
On this day a Japanese family who has a little girl sets a stage called
“Hinadan(ひな段)” in the house.
On “Hinadan” elegant dolls dressed in ancient kimonos of Japanese imperial court are installed.
These dolls are called “Ohinasama(おひなさま)” or “Hina Ningyo(ひな人形)”.
Family members and friends gather and take traditional confectionaries
– “Hisimochi(ひし餅)” and “Hina Arare(ひなあられ)”.
And they drink sweet beverage made of fermented rice – “Amazake(甘酒)”.
Although authentic “Amazake” contains alcohol, girls’ beverage is prepared alcohol-freely, of course.
続きを読む…
日本が産油国になる日
2010年12月17日
あまりに素敵なニュースだったので、思わず転載してしまいました。
できるだけ早く、実用化に近づくことを願ってやみません。
【毎日新聞】
http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20101216rky00m040006000c.html
【朝日新聞】
http://www.asahi.com/science/update/1214/TKY201012140212.html
第三者評価
2010年11月08日
今日は、京都府北部の綾部市まで、介護施設の第三者評価をしに行ってきました。
・・・とはいえ、実態は他の経験豊かな調査員さんのお供でついていったような
ものですが・・・。
今日訪れたのは、聴覚障がいの高齢者向けの特別養護老人ホームでした。
全国でも、ほぼ例がないような珍しい施設です。
職員さんの情熱も伝わってきますし、調査に訪れておいてなんですが、大変よい
勉強をさせていただきました。
介護・福祉事業の末端部分をお手伝いさせていただいている私ですが、世の中には
まったくもっていろいろなことやものがあるものだと痛感します。
以前からつらつら思っていることですが、私もホームヘルパー2級をとろうかな~
どうにも、現場のことを間接的にしか理解できない自分に、もどかしさを感じますので・・・
日本列島は、梅雨の真っ最中です。
2010年07月04日
今の日本は、梅雨(つゆ)の季節です。
夏の始まりに、毎日のように雨が降り続いています。
日本列島の特徴を一つ挙げろと言われれば、私は雨が多いことだと答えます。
春の雨は、春雨(はるさめ)。
夏の初めに、梅雨(つゆ)。
夏に降るのは、夕立(ゆうだち)。
秋の雨は、秋雨(あきさめ)。
冬には、雨の変わりに雪が降ります。北風の当たる日本の北半分には、毎年大雪(おおゆき)が降り積もります。
日本で梅雨の季節の花といえば、紫陽花(あじさい)です。
紫色の陰気な花が、私のいる京都でも今は花盛りです。
この花は、日本が原産です。
古代の歌集『万葉集』にも、出て参ります。
ですが、この花は昔の日本人に、あまり愛されていたようには見えません。
この花を歌った俳句や短歌も、数は多くありません。
湿気の多い日陰に咲く姿が、忌み嫌われたのでしょうか。
日本でもこうして梅雨の花として大いに愛されるようになったのは、20世紀以降のことです。
(あじあのとうふ代表 小田光男)
