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	<title>夕映舎　外国人の年金脱退一時金手続代行、起業支援、くらしの法務相談</title>
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	<description>外国人の年金脱退一時金手続代行から起業支援、くらしの法務相談までうけおう、行政書士・社会保険労務士事務所です。</description>
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		<title>インド日本友の会　クンナ・ダッシュさんを訪問しました（ルビつき記事）</title>
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		<pubDate>Tue, 07 Feb 2012 11:32:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Berumotto</dc:creator>
				<category><![CDATA[夕映舎日記]]></category>

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		<description><![CDATA[
夕映舎ゆうえいしゃは、２０１２年にせんじゅうにねん２月にがつ５日いつか（日曜日にちようび）、奈良県ならけん大和郡山市やまとこおりやましにあるインド料理店りょうりてん「サンタナ」を訪問ほうもんして、店主てんしゅで「インド日本にほん友ともの会かい」の設立者せつりつしゃであられるクンナ・ダッシュさんとお会あいしました。
訪問者ほうもんしゃは、夕映舎ゆうえいしゃ舎長しゃちょうの住田正則すみだまさのり、夕映舎ゆうえいしゃパートナーの小田光男おだみつお、およびヤマウラデザイン事務所じむしょの山浦一輝紀やまうらひできの三名さんめいでした。
（上うえの写真しゃしんで、右みぎから住田すみだ、山浦やまうら、クンナ・ダッシュさん、小田おだ。）
クンナ･ダッシュさんに私わたし（小田おだ）が初はじめてお会あいしたときの印象いんしょうは、「時代劇じだいげきの松平健まつだいらけんに似にてるな！」でした。
後あとでクンナさんのウェブサイトを拝見はいけんしたら、やっぱり松平健まつだいらけんのそっくりさんとしてテレビにも出でておられた。
日本人にほんじんにとってインド人じんと聞きけば、たいてい肌はだの黒くろい人々ひとびとであるという先入観せんにゅうかんがあります。
しかし、実際じっさいのインド人じんは、きわめて多様たような人々ひとびとです。クンナさんのような、一見いっけんすると日本人にほんじんのイメージするインド人じんに見みえない方かたが、精力的せいりょくてきに日本にほんの中なかでインドを紹介しょうかいし、インドと日本にほんのつながりの輪わを広ひろめようとしておられる。私わたしたち日本人にほんじんは、インドというスケールの大おおきな国くにはまた多様たようで奥おくが深ふかいのだ、ということをもっと知しらなければならないでしょう。

「サンタナ」は、現在げんざい大和郡山やまとこおりやま市内しないに２店にてんあります。
一店いってんはJR郡山こおりやま駅前えきまえにあり、ヨガ教室きょうしつが併設へいせつされています。
今回こんかい私わたしたちがクンナさんとお会あいしたのは、もう一店いってんの発志院町ほっしいんちょうの店舗てんぽです。
ちょっと電車でんしゃで行いくのは不便ふべんな位置いちなので、わざわざスタッフの方かたが車くるまでお迎むかえしていただきました。

「サンタナ」の本式ほんしきインド料理りょうりをいただきながら、午後ごご１時いちじから５時ごじまでの長ながい時間じかんに渡わたって、私わたしたち三名さんめいはクンナさんとお話はなしさせていただきました。
むずかしい話はなしはまず置おいといて、何なにはともあれ日本人にほんじんにとってのインドの魅力みりょくは、カレーでおなじみのインド料理りょうりです。
最初さいしょに、寒さむい日ひだったので、カップ一杯のマサラチャイをいただきました。
マサラチャイとは、インド式しきのミルクティーであるチャイに、スパイスの風味ふうみを効きかせたものです。
スパイスのほのかな刺激しげきがお茶ちゃの甘あまみとよく合あって、たいへんな美味びみでした。

次つぎに、これもおなじみのタンドリーチキン、それから魚さかなと豆まめのフライが出だされました。
「豆まめのフライは、インドの『かき揚あげ』。インド料理りょうりはカレーばっかりと思おもわれてるけれど、このようにもっといろいろあることを、皆みなに知しってもらいたいですね」とクンナさん。

ナンはインド式しきのパンで、これもすでに日本にほんでおなじみです。
しかし、クンナさんの店みせでは、このナンを生地きじにしたピザをメニューにしています。後うしろはほうれん草そうのカレーです。
クンナさんは、関西かんさいから中京地方ちゅうきょうちほうのスーパーマーケットと提携ていけいして、冷凍れいとうナンとクンナさんのブランドの本格ほんかくインド式しきレトルトカレーを卸おろしていて、現在げんざいも事業じぎょう拡大中かくだいちゅうです。
「日本にほんのカレーライスは、中身なかみが違ちがうけれどベースは全部ぜんぶ同おなじ。インドのカレーは、こんなふうにいろいろな色いろと味あじがあるのです。こちらのカレーはトマトベースで、辛からくない。お子様こさまでも食たべることができる。今日きょうは、辛からくないカレーからちょっと辛からいカレーまで、揃そろえてあるよ。今いまどきのレストランとか居酒屋いざかやとかは、一ひとつの店みせで和わ・洋よう・中華ちゅうかなんでも揃そろえるようになっている。昔むかしと違ちがって、不況ふきょうでお客きゃくさんがわざわざ専門店せんもんてんで高たかいお金かねを払はらうよりも、安やすい店みせで済すませればいいじゃんと考かんがえているからね。そんなところに、チェーン店てんとかが各店かくてんに本式ほんしきのインド料理りょうりを置おいて、そこにナンを美味おいしく焼やくインド人じんの職人しょくにんを雇やとうようになれば、インド人じんの雇用こようの枠わくが一挙いっきょにできるよ。私わたしなんかは、この事業じぎょうを通つうじてインドから料理人りょうりにんさんを日本にほんに大勢おおぜい、連つれてきましたよ。」
クンナさんは、日本にほんに来きて２０年にじゅうねん。この間かん、一いち経営者けいえいしゃとして着実ちゃくじつに歩あゆんでこれられた。
そんな彼かれの話はなしは、終始しゅうし地ちに足あしを着つけた実業じつぎょうに基もとづいた、しっかりとしたものでした。
この日本にほんで実業じつぎょうを通つうじてインドと日本にほんとのつながりを広ひろめるというテーマを実現じつげんさせようとする姿勢しせいを、クンナさんの話はなしから感かんじることができました。
山浦やまうら君くんはトマトベースのカレーに、住田すみだ君くんはほうれん草そうのカレーに、それぞれ舌鼓したつづみを打うっていました。
出だされたナンとサフランライスは、カレーと共ともに私わたしたちの胃袋いぶくろに次つぎから次つぎへと消費しょうひされていきました。

クンナさんと私わたしたちは、インドと日本にほんの関かかわりの現状げんじょうと将来しょうらいから、私わたしたちとのビジネスの話題わだいまで、長々ながながと話はなす機会きかいを持もつつことができました。
「日本にほんの大学だいがくは、トップが学生がくせいを集あつめたいから、留学生りゅうがくせいを呼よびたいと言いう。だけど、呼よぶだけ呼よんで、４年間よねんかん満足まんぞくに暮くらせないんじゃ、来きたってしょうがないじゃん。留学生りゅうがくせいは、生活せいかつと学費がくひのために最低限さいていげんのお金かねがいる。だけど、日本語にほんごができない学生がくせいが稼かせぐことができる職場しょくばが、日本にほんにはない。授業じゅぎょうは、多おおくが英語えいごでやってくれないし、日本語にほんごでやる授業じゅぎょうでも、せめて漢字かんじにルビを振ふってくれたらよいのに、多おおくの先生せんせいたちがそんな配慮はいりょをしたがらない。ましてや、字体じたいを崩くずした特殊とくしゅな漢字かんじとか黒板こくばんに書かかれたら、どうだろう？そりゃあ日本語にほんごに慣なれた日本人にほんじんならばわかるだろうけれど、留学生りゅうがくせいにはお手上てあげだよ。だから、僕ぼくはインドで日本にほんのことを教おしえる学校がっこうにも関かかわっているけれど、子供こどもたちにはハッキリ言いう。日本にほんに留学りゅうがくすると、苦労くろうするよ、ってね。」
クンナさんの言葉ことばに、私わたし（小田おだ）は答こたえました。
「日本にほんで雇やとってくれる体制たいせいがなかったら、来くるにも来これませんね。コンビニエンスストアとかのレジ係がかりならば、マニュアルでイラッシャイマセコンニチハだけ言いっておけば、難むずかしい日本語にほんごはいらない。全国ぜんこくのコンビニで、留学生りゅうがくせいを積極的せっきょくてきに雇用こようするようになれば、少すくななくとも生活面せいかつめんでは、日本にほんで学まなぶ条件じょうけんができあがるはずですね。」
しかしここまで小田おだが言いったら、「コンビニの社長しゃちょうに、知しり合あいがいる？」とクンナさんに言いわれてしまった。残念ざんねんながら、現在げんざいの夕映舎ゆうえいしゃにはありません。クンナさんは、実業家じつぎょうかとしてあくまでも「自分じぶんが今いますぐにでもできること、自分じぶんにも相手あいてにも得とくになる事業じぎょうであること。これをやるべきだし、これでなけりゃ続つづかないよ」と、私わたしたちに指摘してきなさいました。
「私わたしは、大人おとなのインド人じんが日本にほんに来きてもらう機会きかいを作つくるべきだと思おもう。現げんにこれまでもインドから料理人りょうりにんとして何人なんにんも呼よんでいます。大人おとなが日本にほんで職しょくを得えて、定着ていちゃくする。そうすると、やがて日本にほんで所帯を持もつ。子供こどもが、日本にほんで育そだつ。その子供こどもが、日本にほんの学校がっこうに入はいる。こうやって、日本にほんで定着ていちゃくするインド人じんが、根ねを下おろすことができます。インドでもね、うんと能力のうりょくのある子供こどもたちはアメリカの大学だいがくに行いきます。インドにも、レベルの高たかい大学だいがくはいくつもあります。そんな子供こどもたちは、苦労くろうするだけの日本留学にほんりゅうがくなんか、選えらばない。私わたしは、それよりも日本にほんで言いえば中小企業ちゅうしょうきぎょうの家庭かていとかの出身しゅっしんで、意欲いよくはあるのに本国ほんごくで十分じゅうぶん力ちからを発揮はっきできない子弟していたちを、日本にほんに留学りゅうがくさせる戦略せんりゃくのほうが有効ゆうこうだと思おもう。そのためには、インドに居いながら日本語にほんごの予備よび勉強べんきょうができるように、日本にほんの学校がっこうから現地げんちに教師きょうしを送おくり込こんで子弟してを募集ぼしゅう育成いくせいする必要がありますね、、、」
クンナさんとの間あいだに、話題わだいは尽つきることがありませんでした。あっという間まに、冬ふゆの日ひは暮くれて、帰かえらなければならない時間じかんとなってしまいました。
「－ナマステ！(Namaste!, नमस्ते) ]
インドでは、両手りょうてを合あわせてこの挨拶あいさつをするのが基本きほん。「ナマステ」の原義げんぎはサンスクリット語ごで「ご挨拶あいさつします」という意味いみです。私わたしたちは、クンナさんとスタッフの皆みなさんに、楽たのしい時間じかんを過すごさせていただいたことを感謝かんしゃして、「ナマステ！」と両手りょうてを合あわせました。
このように、クンナさんは実業じつぎょうを通つうじて、インド人じんを日本にほんに招待しょうたいし、また日本人にほんじんにインドを親したしんでもらう事業じぎょうを、着実ちゃくじつに進すすめておられます。
そんな彼かれが日本にほんに興味きょうみを持もったきっかけは、ご父君ふくんが経営けいえいされておられるホテルに宿泊しゅくはくする日本人にほんじん旅行者りょこうしゃの話はなしに興味きょうみを持もったことだと言いいます。
少年時代しょうねんじだい、日本人にほんじん旅行者りょこうしゃたちから、いろいろと日本文化にほんぶんかについて教おしえてもらった。繰くり返かえし訪おとずれる旅行者りょこうしゃには、日本にほんのことを知しるための文献ぶんけんなどを持もってきてもらうように頼たのんだ。それで、持もち込こまれた日本にほんの情報じょうほうを、インドにいながら勉強べんきょうした。
それで、１９歳じゅうきゅうさいのときに日本にほんにやって来こられたといいます。
以来いらい、２０年にじゅうねんです。
クンナさんは、だからもちろん日本にほんのことについて、詳くわしく知しっておられます。
クンナさんは、悪わるい面めんなど言いいたくはない、と前置まえおきしながらも、一ひとつだけ日本人にほんじんに不満ふまんな点てんを、挙あげられました。
「昔むかしの夢ゆめを、あきらめてしまうんだよね。若わかい頃ころに夢ゆめを持もっていたがその時とき実現じつげんできなかった人ひとでも、別べつの道みちをたどりながら夢ゆめに向むかっていると考かんがえなければならないんだ。だから、年としを取とってから条件じょうけんが揃そろえば、夢ゆめの実現じつげんに向むかうべきなんだ。なのに、日本にほんの人ひとは『あれは若わかい頃ころのことで、もう終おわったんですよ、、、』などと、すぐにあきらめてしまう。それが私わたしには、分わからないね。」
日本人にほんじんは、新あたらしいものを信仰しんこうのように尊とうとぶ心こころを持もっている。
日本料理にほんりょうりは、取とれたての魚さかなと山菜さんさい、搾しぼりたての新酒しんしゅ、収穫しゅうかくしたての新米しんまいを、いちばん重宝ちょうほうする。
そんな日本料理にほんりょうりは、日本人にほんじんの新あたらしいものを尊とうとぶ心こころと、原理げんりとして一致いっちしていると私わたしは思おもいます。
日本人にほんじんの新あたらしいものを尊とうとぶ心こころは、世界中せかいじゅうの最先端さいせんたんのものや珍めずらしいものを貪欲どんよくに吸収きゅうしゅうする器用きようさの源泉げんせんとなっているはずです。
しかし、その心こころの逆ぎゃくの面めんとして、旬しゅんが過すぎて古ふるくなったことに対たいして、さっさとあきらめてしまう持続力じぞくりょくのなさを生うみ出だしていると、私わたしは思おもいます。
クンナさんは、そんなあきらめのよい日本人にほんじんとは違ちがって、実業じつぎょうという着実ちゃくじつな核かくを育そだてながら、インドと日本にほんのつながりを深ふかめるという自分じぶんの使命しめいを伸のばす活動かつどうを広ひろめ続つづけています。
インド料理りょうりは、スパイスという核かくを確固かっことして持もち、その核かくから多様たような料理りょうりに展開てんかいしていく。
インドから生うまれた仏教ぶっきょうもまた、核かくとなる教義きょうぎから始はじまって、仏ほとけが多様たような姿すがたを展開てんかいする曼荼羅（まんだら）の世界せかいを示しめします。
インド人じんの心こころもまた、インド料理りょうりと似にているのだろうか、などと益体やくたいもないことを、私わたしは考かんがえてしまいました。
（小田おだ　光男みつお）
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			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN00611-1024x768.jpg" alt="DSCN0061" title="DSCN0061" width="500" class="alignnone size-large wp-image-1343" /></p>
<p><RUBY><RB>夕映舎<RT>ゆうえいしゃ</RUBY>は、<RUBY><RB>２０１２年<RT>にせんじゅうにねん</RUBY><RUBY><RB>２月<RT>にがつ</RUBY><RUBY><RB>５日<RT>いつか</RUBY>（<RUBY><RB>日曜日<RT>にちようび</RUBY>）、<RUBY><RB>奈良県<RT>ならけん</RUBY><RUBY><RB>大和郡山市<RT>やまとこおりやまし</RUBY>にあるインド<RUBY><RB>料理店<RT>りょうりてん</RUBY>「サンタナ」を<RUBY><RB>訪問<RT>ほうもん</RUBY>して、<RUBY><RB>店主<RT>てんしゅ</RUBY>で「<a href="http://www.minnanominami.com/contents/santana/news.html">インド<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY><RUBY><RB>友<RT>とも</RUBY>の<RUBY><RB>会<RT>かい</RUBY></a>」の<RUBY><RB>設立者<RT>せつりつしゃ</RUBY>であられる<a href="http://www.minnanominami.com/contents/santana/kunna.html">クンナ・ダッシュさん</a>とお<RUBY><RB>会<RT>あ</RUBY>いしました。<br />
<RUBY><RB>訪問者<RT>ほうもんしゃ</RUBY>は、<RUBY><RB>夕映舎<RT>ゆうえいしゃ</RUBY><RUBY><RB>舎長<RT>しゃちょう</RUBY>の<RUBY><RB>住田正則<RT>すみだまさのり</RUBY>、<RUBY><RB>夕映舎<RT>ゆうえいしゃ</RUBY>パートナーの<RUBY><RB>小田光男<RT>おだみつお</RUBY>、およびヤマウラデザイン<RUBY><RB>事務所<RT>じむしょ</RUBY>の<RUBY><RB>山浦一輝紀<RT>やまうらひでき</RUBY>の<RUBY><RB>三名<RT>さんめい</RUBY>でした。<br />
（<RUBY><RB>上<RT>うえ</RUBY>の<RUBY><RB>写真<RT>しゃしん</RUBY>で、<RUBY><RB>右<RT>みぎ</RUBY>から<RUBY><RB>住田<RT>すみだ</RUBY>、<RUBY><RB>山浦<RT>やまうら</RUBY>、クンナ・ダッシュさん、<RUBY><RB>小田<RT>おだ</RUBY>。）</p>
<p>クンナ･ダッシュさんに<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>（<RUBY><RB>小田<RT>おだ</RUBY>）が<RUBY><RB>初<RT>はじ</RUBY>めてお<RUBY><RB>会<RT>あ</RUBY>いしたときの<RUBY><RB>印象<RT>いんしょう</RUBY>は、「<RUBY><RB>時代劇<RT>じだいげき</RUBY>の<RUBY><RB>松平健<RT>まつだいらけん</RUBY>に<RUBY><RB>似<RT>に</RUBY>てるな！」でした。<br />
<RUBY><RB>後<RT>あと</RUBY>でクンナさんのウェブサイトを<RUBY><RB>拝見<RT>はいけん</RUBY>したら、やっぱり<RUBY><RB>松平健<RT>まつだいらけん</RUBY>のそっくりさんとしてテレビにも<RUBY><RB>出<RT>で</RUBY>ておられた。<br />
<RUBY><RB>日本人<RT>にほんじん</RUBY>にとってインド<RUBY><RB>人<RT>じん</RUBY>と<RUBY><RB>聞<RT>き</RUBY>けば、たいてい<RUBY><RB>肌<RT>はだ</RUBY>の<RUBY><RB>黒<RT>くろ</RUBY>い<RUBY><RB>人々<RT>ひとびと</RUBY>であるという<RUBY><RB>先入観<RT>せんにゅうかん</RUBY>があります。<br />
しかし、<RUBY><RB>実際<RT>じっさい</RUBY>のインド<RUBY><RB>人<RT>じん</RUBY>は、きわめて<RUBY><RB>多様<RT>たよう</RUBY>な<RUBY><RB>人々<RT>ひとびと</RUBY>です。クンナさんのような、<RUBY><RB>一見<RT>いっけん</RUBY>すると<RUBY><RB>日本人<RT>にほんじん</RUBY>のイメージするインド<RUBY><RB>人<RT>じん</RUBY>に<RUBY><RB>見<RT>み</RUBY>えない<RUBY><RB>方<RT>かた</RUBY>が、<RUBY><RB>精力的<RT>せいりょくてき</RUBY>に<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>の<RUBY><RB>中<RT>なか</RUBY>でインドを<RUBY><RB>紹介<RT>しょうかい</RUBY>し、インドと<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>のつながりの<RUBY><RB>輪<RT>わ</RUBY>を<RUBY><RB>広<RT>ひろ</RUBY>めようとしておられる。<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>たち<RUBY><RB>日本人<RT>にほんじん</RUBY>は、インドというスケールの<RUBY><RB>大<RT>おお</RUBY>きな<RUBY><RB>国<RT>くに</RUBY>はまた<RUBY><RB>多様<RT>たよう</RUBY>で<RUBY><RB>奥<RT>おく</RUBY>が<RUBY><RB>深<RT>ふか</RUBY>いのだ、ということをもっと<RUBY><RB>知<RT>し</RUBY>らなければならないでしょう。</p>
<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN0049-300x225.jpg" alt="DSCN0049" title="DSCN0049" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1331" /></p>
<p>「<a href="http://www.minnanominami.com/contents/santana/naraindia2009_map.html">サンタナ</a>」は、<RUBY><RB>現在<RT>げんざい</RUBY><RUBY><RB>大和郡山<RT>やまとこおりやま</RUBY><RUBY><RB>市内<RT>しない</RUBY>に<RUBY><RB>２店<RT>にてん</RUBY>あります。<br />
<RUBY><RB>一店<RT>いってん</RUBY>はJR<RUBY><RB>郡山<RT>こおりやま</RUBY><RUBY><RB>駅前<RT>えきまえ</RUBY>にあり、ヨガ<RUBY><RB>教室<RT>きょうしつ</RUBY>が<RUBY><RB>併設<RT>へいせつ</RUBY>されています。<br />
<RUBY><RB>今回<RT>こんかい</RUBY><RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>たちがクンナさんとお<RUBY><RB>会<RT>あ</RUBY>いしたのは、もう<RUBY><RB>一店<RT>いってん</RUBY>の<RUBY><RB>発志院町<RT>ほっしいんちょう</RUBY>の<RUBY><RB>店舗<RT>てんぽ</RUBY>です。<br />
ちょっと<RUBY><RB>電車<RT>でんしゃ</RUBY>で<RUBY><RB>行<RT>い</RUBY>くのは<RUBY><RB>不便<RT>ふべん</RUBY>な<RUBY><RB>位置<RT>いち</RUBY>なので、わざわざスタッフの<RUBY><RB>方<RT>かた</RUBY>が<RUBY><RB>車<RT>くるま</RUBY>でお<RUBY><RB>迎<RT>むか</RUBY>えしていただきました。</p>
<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN0053-300x225.jpg" alt="DSCN0053" title="DSCN0053" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1333" /></p>
<p>「サンタナ」の<RUBY><RB>本式<RT>ほんしき</RUBY>インド<RUBY><RB>料理<RT>りょうり</RUBY>をいただきながら、<RUBY><RB>午後<RT>ごご</RUBY><RUBY><RB>１時<RT>いちじ</RUBY>から<RUBY><RB>５時<RT>ごじ</RUBY>までの<RUBY><RB>長<RT>なが</RUBY>い<RUBY><RB>時間<RT>じかん</RUBY>に<RUBY><RB>渡<RT>わた</RUBY>って、<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>たち<RUBY><RB>三名<RT>さんめい</RUBY>はクンナさんとお<RUBY><RB>話<RT>はなし</RUBY>させていただきました。</p>
<p>むずかしい<RUBY><RB>話<RT>はなし</RUBY>はまず<RUBY><RB>置<RT>お</RUBY>いといて、<RUBY><RB>何<RT>なに</RUBY>はともあれ<RUBY><RB>日本人<RT>にほんじん</RUBY>にとってのインドの<RUBY><RB>魅力<RT>みりょく</RUBY>は、カレーでおなじみのインド<RUBY><RB>料理<RT>りょうり</RUBY>です。<br />
<RUBY><RB>最初<RT>さいしょ</RUBY>に、<RUBY><RB>寒<RT>さむ</RUBY>い<RUBY><RB>日<RT>ひ</RUBY>だったので、カップ<RUBY><RB>一杯<RT></RUBY>のマサラチャイをいただきました。<br />
マサラチャイとは、インド<RUBY><RB>式<RT>しき</RUBY>のミルクティーであるチャイに、スパイスの<RUBY><RB>風味<RT>ふうみ</RUBY>を<RUBY><RB>効<RT>き</RUBY>かせたものです。<br />
スパイスのほのかな<RUBY><RB>刺激<RT>しげき</RUBY>がお<RUBY><RB>茶<RT>ちゃ</RUBY>の<RUBY><RB>甘<RT>あま</RUBY>みとよく<RUBY><RB>合<RT>あ</RUBY>って、たいへんな<RUBY><RB>美味<RT>びみ</RUBY>でした。</p>
<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN0052-300x225.jpg" alt="DSCN0052" title="DSCN0052" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1332" /></p>
<p><RUBY><RB>次<RT>つぎ</RUBY>に、これもおなじみのタンドリーチキン、それから<RUBY><RB>魚<RT>さかな</RUBY>と<RUBY><RB>豆<RT>まめ</RUBY>のフライが<RUBY><RB>出<RT>だ</RUBY>されました。<br />
「<RUBY><RB>豆<RT>まめ</RUBY>のフライは、インドの『かき<RUBY><RB>揚<RT>あ</RUBY>げ』。インド<RUBY><RB>料理<RT>りょうり</RUBY>はカレーばっかりと<RUBY><RB>思<RT>おも</RUBY>われてるけれど、このようにもっといろいろあることを、<RUBY><RB>皆<RT>みな</RUBY>に<RUBY><RB>知<RT>し</RUBY>ってもらいたいですね」とクンナさん。</p>
<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN0055-300x225.jpg" alt="DSCN0055" title="DSCN0055" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1334" /></p>
<p>ナンはインド<RUBY><RB>式<RT>しき</RUBY>のパンで、これもすでに<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>でおなじみです。<br />
しかし、クンナさんの<RUBY><RB>店<RT>みせ</RUBY>では、このナンを<RUBY><RB>生地<RT>きじ</RUBY>にしたピザをメニューにしています。<RUBY><RB>後<RT>うし</RUBY>ろはほうれん<RUBY><RB>草<RT>そう</RUBY>のカレーです。<br />
クンナさんは、<RUBY><RB>関西<RT>かんさい</RUBY>から<RUBY><RB>中京地方<RT>ちゅうきょうちほう</RUBY>のスーパーマーケットと<RUBY><RB>提携<RT>ていけい</RUBY>して、<RUBY><RB>冷凍<RT>れいとう</RUBY>ナンとクンナさんのブランドの<RUBY><RB>本格<RT>ほんかく</RUBY>インド<RUBY><RB>式<RT>しき</RUBY>レトルトカレーを<RUBY><RB>卸<RT>おろ</RUBY>していて、<RUBY><RB>現在<RT>げんざい</RUBY>も<RUBY><RB>事業<RT>じぎょう</RUBY><RUBY><RB>拡大中<RT>かくだいちゅう</RUBY>です。<br />
「<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>のカレーライスは、<RUBY><RB>中身<RT>なかみ</RUBY>が<RUBY><RB>違<RT>ちが</RUBY>うけれどベースは<RUBY><RB>全部<RT>ぜんぶ</RUBY><RUBY><RB>同<RT>おな</RUBY>じ。インドのカレーは、こんなふうにいろいろな<RUBY><RB>色<RT>いろ</RUBY>と<RUBY><RB>味<RT>あじ</RUBY>があるのです。こちらのカレーはトマトベースで、<RUBY><RB>辛<RT>から</RUBY>くない。お<RUBY><RB>子様<RT>こさま</RUBY>でも<RUBY><RB>食<RT>た</RUBY>べることができる。<RUBY><RB>今日<RT>きょう</RUBY>は、<RUBY><RB>辛<RT>から</RUBY>くないカレーからちょっと<RUBY><RB>辛<RT>から</RUBY>いカレーまで、<RUBY><RB>揃<RT>そろ</RUBY>えてあるよ。<RUBY><RB>今<RT>いま</RUBY>どきのレストランとか<RUBY><RB>居酒屋<RT>いざかや</RUBY>とかは、<RUBY><RB>一<RT>ひと</RUBY>つの<RUBY><RB>店<RT>みせ</RUBY>で<RUBY><RB>和<RT>わ</RUBY>・<RUBY><RB>洋<RT>よう</RUBY>・<RUBY><RB>中華<RT>ちゅうか</RUBY>なんでも<RUBY><RB>揃<RT>そろ</RUBY>えるようになっている。<RUBY><RB>昔<RT>むかし</RUBY>と<RUBY><RB>違<RT>ちが</RUBY>って、<RUBY><RB>不況<RT>ふきょう</RUBY>でお<RUBY><RB>客<RT>きゃく</RUBY>さんがわざわざ<RUBY><RB>専門店<RT>せんもんてん</RUBY>で<RUBY><RB>高<RT>たか</RUBY>いお<RUBY><RB>金<RT>かね</RUBY>を<RUBY><RB>払<RT>はら</RUBY>うよりも、<RUBY><RB>安<RT>やす</RUBY>い<RUBY><RB>店<RT>みせ</RUBY>で<RUBY><RB>済<RT>す</RUBY>ませればいいじゃんと<RUBY><RB>考<RT>かんが</RUBY>えているからね。そんなところに、チェーン<RUBY><RB>店<RT>てん</RUBY>とかが<RUBY><RB>各店<RT>かくてん</RUBY>に<RUBY><RB>本式<RT>ほんしき</RUBY>のインド<RUBY><RB>料理<RT>りょうり</RUBY>を<RUBY><RB>置<RT>お</RUBY>いて、そこにナンを<RUBY><RB>美味<RT>おい</RUBY>しく<RUBY><RB>焼<RT>や</RUBY>くインド<RUBY><RB>人<RT>じん</RUBY>の<RUBY><RB>職人<RT>しょくにん</RUBY>を<RUBY><RB>雇<RT>やと</RUBY>うようになれば、インド<RUBY><RB>人<RT>じん</RUBY>の<RUBY><RB>雇用<RT>こよう</RUBY>の<RUBY><RB>枠<RT>わく</RUBY>が<RUBY><RB>一挙<RT>いっきょ</RUBY>にできるよ。<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>なんかは、この<RUBY><RB>事業<RT>じぎょう</RUBY>を<RUBY><RB>通<RT>つう</RUBY>じてインドから<RUBY><RB>料理人<RT>りょうりにん</RUBY>さんを<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>に<RUBY><RB>大勢<RT>おおぜい</RUBY>、<RUBY><RB>連<RT>つ</RUBY>れてきましたよ。」</p>
<p>クンナさんは、<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>に<RUBY><RB>来<RT>き</RUBY>て<RUBY><RB>２０年<RT>にじゅうねん</RUBY>。この<RUBY><RB>間<RT>かん</RUBY>、<RUBY><RB>一<RT>いち</RUBY><RUBY><RB>経営者<RT>けいえいしゃ</RUBY>として<RUBY><RB>着実<RT>ちゃくじつ</RUBY>に<RUBY><RB>歩<RT>あゆ</RUBY>んでこれられた。<br />
そんな<RUBY><RB>彼<RT>かれ</RUBY>の<RUBY><RB>話<RT>はなし</RUBY>は、<RUBY><RB>終始<RT>しゅうし</RUBY><RUBY><RB>地<RT>ち</RUBY>に<RUBY><RB>足<RT>あし</RUBY>を<RUBY><RB>着<RT>つ</RUBY>けた<RUBY><RB>実業<RT>じつぎょう</RUBY>に<RUBY><RB>基<RT>もと</RUBY>づいた、しっかりとしたものでした。<br />
この<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>で<RUBY><RB>実業<RT>じつぎょう</RUBY>を<RUBY><RB>通<RT>つう</RUBY>じてインドと<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>とのつながりを<RUBY><RB>広<RT>ひろ</RUBY>めるというテーマを<RUBY><RB>実現<RT>じつげん</RUBY>させようとする<RUBY><RB>姿勢<RT>しせい</RUBY>を、クンナさんの<RUBY><RB>話<RT>はなし</RUBY>から<RUBY><RB>感<RT>かん</RUBY>じることができました。</p>
<p><RUBY><RB>山浦<RT>やまうら</RUBY><RUBY><RB>君<RT>くん</RUBY>はトマトベースのカレーに、<RUBY><RB>住田<RT>すみだ</RUBY><RUBY><RB>君<RT>くん</RUBY>はほうれん<RUBY><RB>草<RT>そう</RUBY>のカレーに、それぞれ<RUBY><RB>舌鼓<RT>したつづみ</RUBY>を<RUBY><RB>打<RT>う</RUBY>っていました。<br />
<RUBY><RB>出<RT>だ</RUBY>されたナンとサフランライスは、カレーと<RUBY><RB>共<RT>とも</RUBY>に<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>たちの<RUBY><RB>胃袋<RT>いぶくろ</RUBY>に<RUBY><RB>次<RT>つぎ</RUBY>から<RUBY><RB>次<RT>つぎ</RUBY>へと<RUBY><RB>消費<RT>しょうひ</RUBY>されていきました。</p>
<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN0058-300x225.jpg" alt="DSCN0058" title="DSCN0058" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1335" /></p>
<p>クンナさんと<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>たちは、インドと<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>の<RUBY><RB>関<RT>かか</RUBY>わりの<RUBY><RB>現状<RT>げんじょう</RUBY>と<RUBY><RB>将来<RT>しょうらい</RUBY>から、<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>たちとのビジネスの<RUBY><RB>話題<RT>わだい</RUBY>まで、<RUBY><RB>長々<RT>ながなが</RUBY>と<RUBY><RB>話<RT>はな</RUBY>す<RUBY><RB>機会<RT>きかい</RUBY>を<RUBY><RB>持<RT>もつ</RUBY>つことができました。<br />
「<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>の<RUBY><RB>大学<RT>だいがく</RUBY>は、トップが<RUBY><RB>学生<RT>がくせい</RUBY>を<RUBY><RB>集<RT>あつ</RUBY>めたいから、<RUBY><RB>留学生<RT>りゅうがくせい</RUBY>を<RUBY><RB>呼<RT>よ</RUBY>びたいと<RUBY><RB>言<RT>い</RUBY>う。だけど、<RUBY><RB>呼<RT>よ</RUBY>ぶだけ<RUBY><RB>呼<RT>よ</RUBY>んで、<RUBY><RB>４年間<RT>よねんかん</RUBY><RUBY><RB>満足<RT>まんぞく</RUBY>に<RUBY><RB>暮<RT>く</RUBY>らせないんじゃ、<RUBY><RB>来<RT>き</RUBY>たってしょうがないじゃん。<RUBY><RB>留学生<RT>りゅうがくせい</RUBY>は、<RUBY><RB>生活<RT>せいかつ</RUBY>と<RUBY><RB>学費<RT>がくひ</RUBY>のために<RUBY><RB>最低限<RT>さいていげん</RUBY>のお<RUBY><RB>金<RT>かね</RUBY>がいる。だけど、<RUBY><RB>日本語<RT>にほんご</RUBY>ができない<RUBY><RB>学生<RT>がくせい</RUBY>が<RUBY><RB>稼<RT>かせ</RUBY>ぐことができる<RUBY><RB>職場<RT>しょくば</RUBY>が、<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>にはない。<RUBY><RB>授業<RT>じゅぎょう</RUBY>は、<RUBY><RB>多<RT>おお</RUBY>くが<RUBY><RB>英語<RT>えいご</RUBY>でやってくれないし、<RUBY><RB>日本語<RT>にほんご</RUBY>でやる<RUBY><RB>授業<RT>じゅぎょう</RUBY>でも、せめて<RUBY><RB>漢字<RT>かんじ</RUBY>にルビを<RUBY><RB>振<RT>ふ</RUBY>ってくれたらよいのに、<RUBY><RB>多<RT>おお</RUBY>くの<RUBY><RB>先生<RT>せんせい</RUBY>たちがそんな<RUBY><RB>配慮<RT>はいりょ</RUBY>をしたがらない。ましてや、<RUBY><RB>字体<RT>じたい</RUBY>を<RUBY><RB>崩<RT>くず</RUBY>した<RUBY><RB>特殊<RT>とくしゅ</RUBY>な<RUBY><RB>漢字<RT>かんじ</RUBY>とか<RUBY><RB>黒板<RT>こくばん</RUBY>に<RUBY><RB>書<RT>か</RUBY>かれたら、どうだろう？そりゃあ<RUBY><RB>日本語<RT>にほんご</RUBY>に<RUBY><RB>慣<RT>な</RUBY>れた<RUBY><RB>日本人<RT>にほんじん</RUBY>ならばわかるだろうけれど、<RUBY><RB>留学生<RT>りゅうがくせい</RUBY>にはお<RUBY><RB>手上<RT>てあ</RUBY>げだよ。だから、<RUBY><RB>僕<RT>ぼく</RUBY>はインドで<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>のことを<RUBY><RB>教<RT>おし</RUBY>える<RUBY><RB>学校<RT>がっこう</RUBY>にも<RUBY><RB>関<RT>かか</RUBY>わっているけれど、<RUBY><RB>子供<RT>こども</RUBY>たちにはハッキリ<RUBY><RB>言<RT>い</RUBY>う。<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>に<RUBY><RB>留学<RT>りゅうがく</RUBY>すると、<RUBY><RB>苦労<RT>くろう</RUBY>するよ、ってね。」<br />
クンナさんの<RUBY><RB>言葉<RT>ことば</RUBY>に、<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>（<RUBY><RB>小田<RT>おだ</RUBY>）は<RUBY><RB>答<RT>こた</RUBY>えました。<br />
「<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>で<RUBY><RB>雇<RT>やと</RUBY>ってくれる<RUBY><RB>体制<RT>たいせい</RUBY>がなかったら、<RUBY><RB>来<RT>く</RUBY>るにも<RUBY><RB>来<RT>こ</RUBY>れませんね。コンビニエンスストアとかのレジ<RUBY><RB>係<RT>がかり</RUBY>ならば、マニュアルでイラッシャイマセコンニチハだけ<RUBY><RB>言<RT>い</RUBY>っておけば、<RUBY><RB>難<RT>むずか</RUBY>しい<RUBY><RB>日本語<RT>にほんご</RUBY>はいらない。<RUBY><RB>全国<RT>ぜんこく</RUBY>のコンビニで、<RUBY><RB>留学生<RT>りゅうがくせい</RUBY>を<RUBY><RB>積極的<RT>せっきょくてき</RUBY>に<RUBY><RB>雇用<RT>こよう</RUBY>するようになれば、<RUBY><RB>少<RT>すくな</RUBY>なくとも<RUBY><RB>生活面<RT>せいかつめん</RUBY>では、<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>で<RUBY><RB>学<RT>まな</RUBY>ぶ<RUBY><RB>条件<RT>じょうけん</RUBY>ができあがるはずですね。」<br />
しかしここまで<RUBY><RB>小田<RT>おだ</RUBY>が<RUBY><RB>言<RT>い</RUBY>ったら、「コンビニの<RUBY><RB>社長<RT>しゃちょう</RUBY>に、<RUBY><RB>知<RT>し</RUBY>り<RUBY><RB>合<RT>あ</RUBY>いがいる？」とクンナさんに<RUBY><RB>言<RT>い</RUBY>われてしまった。<RUBY><RB>残念<RT>ざんねん</RUBY>ながら、<RUBY><RB>現在<RT>げんざい</RUBY>の<RUBY><RB>夕映舎<RT>ゆうえいしゃ</RUBY>にはありません。クンナさんは、<RUBY><RB>実業家<RT>じつぎょうか</RUBY>としてあくまでも「<RUBY><RB>自分<RT>じぶん</RUBY>が<RUBY><RB>今<RT>いま</RUBY>すぐにでもできること、<RUBY><RB>自分<RT>じぶん</RUBY>にも<RUBY><RB>相手<RT>あいて</RUBY>にも<RUBY><RB>得<RT>とく</RUBY>になる<RUBY><RB>事業<RT>じぎょう</RUBY>であること。これをやるべきだし、これでなけりゃ<RUBY><RB>続<RT>つづ</RUBY>かないよ」と、<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>たちに<RUBY><RB>指摘<RT>してき</RUBY>なさいました。<br />
「<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>は、<RUBY><RB>大人<RT>おとな</RUBY>のインド<RUBY><RB>人<RT>じん</RUBY>が<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>に<RUBY><RB>来<RT>き</RUBY>てもらう<RUBY><RB>機会<RT>きかい</RUBY>を<RUBY><RB>作<RT>つく</RUBY>るべきだと<RUBY><RB>思<RT>おも</RUBY>う。<RUBY><RB>現<RT>げん</RUBY>にこれまでもインドから<RUBY><RB>料理人<RT>りょうりにん</RUBY>として<RUBY><RB>何人<RT>なんにん</RUBY>も<RUBY><RB>呼<RT>よ</RUBY>んでいます。<RUBY><RB>大人<RT>おとな</RUBY>が<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>で<RUBY><RB>職<RT>しょく</RUBY>を<RUBY><RB>得<RT>え</RUBY>て、<RUBY><RB>定着<RT>ていちゃく</RUBY>する。そうすると、やがて<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>で<RUBY><RB>所帯<RT></RUBY>を<RUBY><RB>持<RT>も</RUBY>つ。<RUBY><RB>子供<RT>こども</RUBY>が、<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>で<RUBY><RB>育<RT>そだ</RUBY>つ。その<RUBY><RB>子供<RT>こども</RUBY>が、<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>の<RUBY><RB>学校<RT>がっこう</RUBY>に<RUBY><RB>入<RT>はい</RUBY>る。こうやって、<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>で<RUBY><RB>定着<RT>ていちゃく</RUBY>するインド<RUBY><RB>人<RT>じん</RUBY>が、<RUBY><RB>根<RT>ね</RUBY>を<RUBY><RB>下<RT>お</RUBY>ろすことができます。インドでもね、うんと<RUBY><RB>能力<RT>のうりょく</RUBY>のある<RUBY><RB>子供<RT>こども</RUBY>たちはアメリカの<RUBY><RB>大学<RT>だいがく</RUBY>に<RUBY><RB>行<RT>い</RUBY>きます。インドにも、レベルの<RUBY><RB>高<RT>たか</RUBY>い<RUBY><RB>大学<RT>だいがく</RUBY>はいくつもあります。そんな<RUBY><RB>子供<RT>こども</RUBY>たちは、<RUBY><RB>苦労<RT>くろう</RUBY>するだけの<RUBY><RB>日本留学<RT>にほんりゅうがく</RUBY>なんか、<RUBY><RB>選<RT>えら</RUBY>ばない。<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>は、それよりも<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>で<RUBY><RB>言<RT>い</RUBY>えば<RUBY><RB>中小企業<RT>ちゅうしょうきぎょう</RUBY>の<RUBY><RB>家庭<RT>かてい</RUBY>とかの<RUBY><RB>出身<RT>しゅっしん</RUBY>で、<RUBY><RB>意欲<RT>いよく</RUBY>はあるのに<RUBY><RB>本国<RT>ほんごく</RUBY>で<RUBY><RB>十分<RT>じゅうぶん</RUBY><RUBY><RB>力<RT>ちから</RUBY>を<RUBY><RB>発揮<RT>はっき</RUBY>できない<RUBY><RB>子弟<RT>してい</RUBY>たちを、<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>に<RUBY><RB>留学<RT>りゅうがく</RUBY>させる<RUBY><RB>戦略<RT>せんりゃく</RUBY>のほうが<RUBY><RB>有効<RT>ゆうこう</RUBY>だと<RUBY><RB>思<RT>おも</RUBY>う。そのためには、インドに<RUBY><RB>居<RT>い</RUBY>ながら<RUBY><RB>日本語<RT>にほんご</RUBY>の<RUBY><RB>予備<RT>よび</RUBY><RUBY><RB>勉強<RT>べんきょう</RUBY>ができるように、<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>の<RUBY><RB>学校<RT>がっこう</RUBY>から<RUBY><RB>現地<RT>げんち</RUBY>に<RUBY><RB>教師<RT>きょうし</RUBY>を<RUBY><RB>送<RT>おく</RUBY>り<RUBY><RB>込<RT>こ</RUBY>んで<RUBY><RB>子弟<RT>して</RUBY>を<RUBY><RB>募集<RT>ぼしゅう</RUBY><RUBY><RB>育成<RT>いくせい</RUBY>する<RUBY><RB>必要<RT></RUBY>がありますね、、、」</p>
<p>クンナさんとの<RUBY><RB>間<RT>あいだ</RUBY>に、<RUBY><RB>話題<RT>わだい</RUBY>は<RUBY><RB>尽<RT>つ</RUBY>きることがありませんでした。あっという<RUBY><RB>間<RT>ま</RUBY>に、<RUBY><RB>冬<RT>ふゆ</RUBY>の<RUBY><RB>日<RT>ひ</RUBY>は<RUBY><RB>暮<RT>く</RUBY>れて、<RUBY><RB>帰<RT>かえ</RUBY>らなければならない<RUBY><RB>時間<RT>じかん</RUBY>となってしまいました。</p>
<p>「－ナマステ！(Namaste!, नमस्ते) ]<br />
インドでは、<RUBY><RB>両手<RT>りょうて</RUBY>を<RUBY><RB>合<RT>あ</RUBY>わせてこの<RUBY><RB>挨拶<RT>あいさつ</RUBY>をするのが<RUBY><RB>基本<RT>きほん</RUBY>。「ナマステ」の<RUBY><RB>原義<RT>げんぎ</RUBY>はサンスクリット<RUBY><RB>語<RT>ご</RUBY>で「ご<RUBY><RB>挨拶<RT>あいさつ</RUBY>します」という<RUBY><RB>意味<RT>いみ</RUBY>です。<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>たちは、クンナさんとスタッフの<RUBY><RB>皆<RT>みな</RUBY>さんに、<RUBY><RB>楽<RT>たの</RUBY>しい<RUBY><RB>時間<RT>じかん</RUBY>を<RUBY><RB>過<RT>す</RUBY>ごさせていただいたことを<RUBY><RB>感謝<RT>かんしゃ</RUBY>して、「ナマステ！」と<RUBY><RB>両手<RT>りょうて</RUBY>を<RUBY><RB>合<RT>あ</RUBY>わせました。</p>
<p>このように、クンナさんは<RUBY><RB>実業<RT>じつぎょう</RUBY>を<RUBY><RB>通<RT>つう</RUBY>じて、インド<RUBY><RB>人<RT>じん</RUBY>を<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>に<RUBY><RB>招待<RT>しょうたい</RUBY>し、また<RUBY><RB>日本人<RT>にほんじん</RUBY>にインドを<RUBY><RB>親<RT>した</RUBY>しんでもらう<RUBY><RB>事業<RT>じぎょう</RUBY>を、<RUBY><RB>着実<RT>ちゃくじつ</RUBY>に<RUBY><RB>進<RT>すす</RUBY>めておられます。<br />
そんな<RUBY><RB>彼<RT>かれ</RUBY>が<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>に<RUBY><RB>興味<RT>きょうみ</RUBY>を<RUBY><RB>持<RT>も</RUBY>ったきっかけは、ご<RUBY><RB>父君<RT>ふくん</RUBY>が<RUBY><RB>経営<RT>けいえい</RUBY>されておられるホテルに<RUBY><RB>宿泊<RT>しゅくはく</RUBY>する<RUBY><RB>日本人<RT>にほんじん</RUBY><RUBY><RB>旅行者<RT>りょこうしゃ</RUBY>の<RUBY><RB>話<RT>はなし</RUBY>に<RUBY><RB>興味<RT>きょうみ</RUBY>を<RUBY><RB>持<RT>も</RUBY>ったことだと<RUBY><RB>言<RT>い</RUBY>います。<br />
<RUBY><RB>少年時代<RT>しょうねんじだい</RUBY>、<RUBY><RB>日本人<RT>にほんじん</RUBY><RUBY><RB>旅行者<RT>りょこうしゃ</RUBY>たちから、いろいろと<RUBY><RB>日本文化<RT>にほんぶんか</RUBY>について<RUBY><RB>教<RT>おし</RUBY>えてもらった。<RUBY><RB>繰<RT>く</RUBY>り<RUBY><RB>返<RT>かえ</RUBY>し<RUBY><RB>訪<RT>おとず</RUBY>れる<RUBY><RB>旅行者<RT>りょこうしゃ</RUBY>には、<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>のことを<RUBY><RB>知<RT>し</RUBY>るための<RUBY><RB>文献<RT>ぶんけん</RUBY>などを<RUBY>持<RB>も<RT></RUBY>ってきてもらうように<RUBY><RB>頼<RT>たの</RUBY>んだ。それで、<RUBY><RB>持<RT>も</RUBY>ち<RUBY><RB>込<RT>こ</RUBY>まれた<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>の<RUBY><RB>情報<RT>じょうほう</RUBY>を、インドにいながら<RUBY><RB>勉強<RT>べんきょう</RUBY>した。<br />
それで、<RUBY><RB>１９歳<RT>じゅうきゅうさい</RUBY>のときに<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>にやって<RUBY><RB>来<RT>こ</RUBY>られたといいます。</p>
<p><RUBY><RB>以来<RT>いらい</RUBY>、<RUBY><RB>２０年<RT>にじゅうねん</RUBY>です。<br />
クンナさんは、だからもちろん<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>のことについて、<RUBY><RB>詳<RT>くわ</RUBY>しく<RUBY><RB>知<RT>し</RUBY>っておられます。<br />
クンナさんは、<RUBY><RB>悪<RT>わる</RUBY>い<RUBY><RB>面<RT>めん</RUBY>など<RUBY><RB>言<RT>い</RUBY>いたくはない、と<RUBY><RB>前置<RT>まえお</RUBY>きしながらも、<RUBY><RB>一<RT>ひと</RUBY>つだけ<RUBY><RB>日本人<RT>にほんじん</RUBY>に<RUBY><RB>不満<RT>ふまん</RUBY>な<RUBY><RB>点<RT>てん</RUBY>を、<RUBY><RB>挙<RT>あ</RUBY>げられました。<br />
「<RUBY><RB>昔<RT>むかし</RUBY>の<RUBY><RB>夢<RT>ゆめ</RUBY>を、あきらめてしまうんだよね。<RUBY><RB>若<RT>わか</RUBY>い<RUBY><RB>頃<RT>ころ</RUBY>に<RUBY><RB>夢<RT>ゆめ</RUBY>を<RUBY><RB>持<RT>も</RUBY>っていたがその<RUBY><RB>時<RT>とき</RUBY><RUBY><RB>実現<RT>じつげん</RUBY>できなかった<RUBY><RB>人<RT>ひと</RUBY>でも、<RUBY><RB>別<RT>べつ</RUBY>の<RUBY><RB>道<RT>みち</RUBY>をたどりながら<RUBY><RB>夢<RT>ゆめ</RUBY>に<RUBY><RB>向<RT>む</RUBY>かっていると<RUBY><RB>考<RT>かんが</RUBY>えなければならないんだ。だから、<RUBY><RB>年<RT>とし</RUBY>を<RUBY><RB>取<RT>と</RUBY>ってから<RUBY><RB>条件<RT>じょうけん</RUBY>が<RUBY><RB>揃<RT>そろ</RUBY>えば、<RUBY><RB>夢<RT>ゆめ</RUBY>の<RUBY><RB>実現<RT>じつげん</RUBY>に<RUBY><RB>向<RT>む</RUBY>かうべきなんだ。なのに、<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>の<RUBY><RB>人<RT>ひと</RUBY>は『あれは<RUBY><RB>若<RT>わか</RUBY>い<RUBY><RB>頃<RT>ころ</RUBY>のことで、もう<RUBY><RB>終<RT>お</RUBY>わったんですよ、、、』などと、すぐにあきらめてしまう。それが<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>には、<RUBY><RB>分<RT>わ</RUBY>からないね。」</p>
<p><RUBY><RB>日本人<RT>にほんじん</RUBY>は、<RUBY><RB>新<RT>あたら</RUBY>しいものを<RUBY><RB>信仰<RT>しんこう</RUBY>のように<RUBY><RB>尊<RT>とうと</RUBY>ぶ<RUBY><RB>心<RT>こころ</RUBY>を<RUBY><RB>持<RT>も</RUBY>っている。<br />
<RUBY><RB>日本料理<RT>にほんりょうり</RUBY>は、<RUBY><RB>取<RT>と</RUBY>れたての<RUBY><RB>魚<RT>さかな</RUBY>と<RUBY><RB>山菜<RT>さんさい</RUBY>、<RUBY><RB>搾<RT>しぼ</RUBY>りたての<RUBY><RB>新酒<RT>しんしゅ</RUBY>、<RUBY><RB>収穫<RT>しゅうかく</RUBY>したての<RUBY><RB>新米<RT>しんまい</RUBY>を、いちばん<RUBY><RB>重宝<RT>ちょうほう</RUBY>する。<br />
そんな<RUBY><RB>日本料理<RT>にほんりょうり</RUBY>は、<RUBY><RB>日本人<RT>にほんじん</RUBY>の<RUBY><RB>新<RT>あたら</RUBY>しいものを<RUBY><RB>尊<RT>とうと</RUBY>ぶ<RUBY><RB>心<RT>こころ</RUBY>と、<RUBY><RB>原理<RT>げんり</RUBY>として<RUBY><RB>一致<RT>いっち</RUBY>していると<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>は<RUBY><RB>思<RT>おも</RUBY>います。<br />
<RUBY><RB>日本人<RT>にほんじん</RUBY>の<RUBY><RB>新<RT>あたら</RUBY>しいものを<RUBY><RB>尊<RT>とうと</RUBY>ぶ<RUBY><RB>心<RT>こころ</RUBY>は、<RUBY><RB>世界中<RT>せかいじゅう</RUBY>の<RUBY><RB>最先端<RT>さいせんたん</RUBY>のものや<RUBY><RB>珍<RT>めずら</RUBY>しいものを<RUBY><RB>貪欲<RT>どんよく</RUBY>に<RUBY><RB>吸収<RT>きゅうしゅう</RUBY>する<RUBY><RB>器用<RT>きよう</RUBY>さの<RUBY><RB>源泉<RT>げんせん</RUBY>となっているはずです。<br />
しかし、その<RUBY><RB>心<RT>こころ</RUBY>の<RUBY><RB>逆<RT>ぎゃく</RUBY>の<RUBY><RB>面<RT>めん</RUBY>として、<RUBY><RB>旬<RT>しゅん</RUBY>が<RUBY><RB>過<RT>す</RUBY>ぎて<RUBY><RB>古<RT>ふる</RUBY>くなったことに<RUBY><RB>対<RT>たい</RUBY>して、さっさとあきらめてしまう<RUBY><RB>持続力<RT>じぞくりょく</RUBY>のなさを<RUBY><RB>生<RT>う</RUBY>み<RUBY><RB>出<RT>だ</RUBY>していると、<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>は<RUBY><RB>思<RT>おも</RUBY>います。<br />
クンナさんは、そんなあきらめのよい<RUBY><RB>日本人<RT>にほんじん</RUBY>とは<RUBY><RB>違<RT>ちが</RUBY>って、<RUBY><RB>実業<RT>じつぎょう</RUBY>という<RUBY><RB>着実<RT>ちゃくじつ</RUBY>な<RUBY><RB>核<RT>かく</RUBY>を<RUBY><RB>育<RT>そだ</RUBY>てながら、インドと<RUBY><RB>日本<RT>にほん</RUBY>のつながりを<RUBY><RB>深<RT>ふか</RUBY>めるという<RUBY><RB>自分<RT>じぶん</RUBY>の<RUBY><RB>使命<RT>しめい</RUBY>を<RUBY><RB>伸<RT>の</RUBY>ばす<RUBY><RB>活動<RT>かつどう</RUBY>を<RUBY><RB>広<RT>ひろ</RUBY>め<RUBY><RB>続<RT>つづ</RUBY>けています。<br />
インド<RUBY><RB>料理<RT>りょうり</RUBY>は、スパイスという<RUBY><RB>核<RT>かく</RUBY>を<RUBY><RB>確固<RT>かっこ</RUBY>として<RUBY><RB>持<RT>も</RUBY>ち、その<RUBY><RB>核<RT>かく</RUBY>から<RUBY><RB>多様<RT>たよう</RUBY>な<RUBY><RB>料理<RT>りょうり</RUBY>に<RUBY><RB>展開<RT>てんかい</RUBY>していく。<br />
インドから<RUBY><RB>生<RT>う</RUBY>まれた<RUBY><RB>仏教<RT>ぶっきょう</RUBY>もまた、<RUBY><RB>核<RT>かく</RUBY>となる<RUBY><RB>教義<RT>きょうぎ</RUBY>から<RUBY><RB>始<RT>はじ</RUBY>まって、<RUBY><RB>仏<RT>ほとけ</RUBY>が<RUBY><RB>多様<RT>たよう</RUBY>な<RUBY><RB>姿<RT>すがた</RUBY>を<RUBY><RB>展開<RT>てんかい</RUBY>する曼荼羅（まんだら）の<RUBY><RB>世界<RT>せかい</RUBY>を<RUBY><RB>示<RT>しめ</RUBY>します。<br />
インド<RUBY><RB>人<RT>じん</RUBY>の<RUBY><RB>心<RT>こころ</RUBY>もまた、インド<RUBY><RB>料理<RT>りょうり</RUBY>と<RUBY><RB>似<RT>に</RUBY>ているのだろうか、などと<RUBY><RB>益体<RT>やくたい</RUBY>もないことを、<RUBY><RB>私<RT>わたし</RUBY>は<RUBY><RB>考<RT>かんが</RUBY>えてしまいました。</p>
<p>（<RUBY><RB>小田<RT>おだ</RUBY>　<RUBY><RB>光男<RT>みつお</RUBY>）</p>
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		<title>インド日本友の会　クンナ・ダッシュさんを訪問しました。</title>
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		<pubDate>Tue, 07 Feb 2012 01:12:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Berumotto</dc:creator>
				<category><![CDATA[夕映舎日記]]></category>

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		<description><![CDATA[
夕映舎は、２０１２年２月５日（日曜日）、奈良県大和郡山市にあるインド料理店「サンタナ」を訪問して、店主で「インド日本友の会」の設立者であられるクンナ・ダッシュさんとお会いしました。
訪問者は、夕映舎舎長の住田正則、夕映舎パートナーの小田光男、およびヤマウラデザイン事務所の山浦一輝紀の三名でした。
（上の写真で、右から住田、山浦、クンナ・ダッシュさん、小田。）
クンナ･ダッシュさんに私（小田）が初めてお会いしたときの印象は、「時代劇の松平健に似てるな！」でした。
後でクンナさんのウェブサイトを拝見したら、やっぱり松平健のそっくりさんとしてテレビにも出ておられた。
日本人にとってインド人と聞けば、たいてい肌の黒い人々であるという先入観があります。
しかし、実際のインド人は、きわめて多様な人々です。クンナさんのような、一見すると日本人のイメージするインド人に見えない方が、精力的に日本の中でインドを紹介し、インドと日本のつながりの輪を広めようとしておられる。私たち日本人は、インドというスケールの大きな国はまた多様で奥が深いのだ、ということをもっと知らなければならないでしょう。

「サンタナ」は、現在大和郡山市内に２店あります。
一店はJR郡山駅前にあり、ヨガ教室が併設されています。
今回私たちがクンナさんとお会いしたのは、もう一店の発志院町西の店舗です。
ちょっと電車で行くのは不便な位置なので、わざわざスタッフの方が車でお迎えしていただきました。

「サンタナ」の本式インド料理をいただきながら、午後１時から５時までの長い時間に渡って、私たち三名はクンナさんとお話させていただきました。
むずかしい話はまず置いといて、何はともあれ日本人にとってのインドの魅力は、カレーでおなじみのインド料理です。
最初に、寒い日だったので、カップ一杯のマサラチャイをいただきました。
マサラチャイとは、インド式のミルクティーであるチャイに、スパイスの風味を効かせたものです。
スパイスのほのかな刺激がお茶の甘みとよく合って、たいへんな美味でした。

次に、これもおなじみのタンドリーチキン、それから魚と豆のフライが出されました。
「豆のフライは、インドの『かき揚げ』。インド料理はカレーばっかりと思われてるけれど、このようにもっといろいろあることを、皆に知ってもらいたいですね」とクンナさん。

ナンはインド式のパンで、これもすでに日本でおなじみです。
しかし、クンナさんの店では、このナンを生地にしたピザをメニューにしています。後ろはほうれん草のカレーです。
クンナさんは、関西から中京地方のスーパーマーケットと提携して、冷凍ナンとクンナさんのブランドの本格インド式レトルトカレーを卸していて、現在も事業拡大中です。
「日本のカレーライスは、中身が違うけれどベースは全部同じ。インドのカレーは、こんなふうにいろいろな色と味があるのです。こちらのカレーはトマトベースで、辛くない。お子様でも食べることができる。今日は、辛くないカレーからちょっと辛いカレーまで、揃えてあるよ。今どきのレストランとか居酒屋とかは、一つの店で和・洋・中華なんでも揃えるようになっている。昔と違って、不況でお客さんがわざわざ専門店で高いお金を払うよりも、安い店で済ませればいいじゃんと考えているからね。そんなところに、チェーン店とかが各店に本式のインド料理を置いて、そこにナンを美味しく焼くインド人の職人を雇うようになれば、インド人の雇用の枠が一挙にできるよ。私なんかは、この事業を通じてインドから料理人さんを日本に大勢、連れてきましたよ。」
クンナさんは、日本に来て２０年。この間、一経営者として着実に歩んでこれられた。
そんな彼の話は、終始地に足を着けた実業に基づいた、しっかりとしたものでした。
この日本で実業を通じてインドと日本とのつながりを広めるというテーマを実現させようとする姿勢を、クンナさんの話から感じることができました。
山浦君はトマトベースのカレーに、住田君はほうれん草のカレーに、それぞれ舌鼓を打っていました。
出されたナンとサフランライスは、カレーと共に私たちの胃袋に次から次へと消費されていきました。

クンナさんと私たちは、インドと日本の関わりの現状と将来から、私たちとのビジネスの話題まで、長々と話す機会を持つことができました。
「日本の大学は、トップが学生を集めたいから、留学生を呼びたいと言う。だけど、呼ぶだけ呼んで、4年間満足に暮らせないんじゃ、来たってしょうがないじゃん。留学生は、生活と学費のために最低限のお金がいる。だけど、日本語ができない学生が稼ぐことができる職場が、日本にはない。授業は、多くが英語でやってくれないし、日本語でやる授業でも、せめて漢字にルビを振ってくれたらよいのに、多くの先生たちがそんな配慮をしたがらない。ましてや、字体を崩した特殊な漢字とか黒板に書かれたら、どうだろう？そりゃあ日本語に慣れた日本人ならばわかるだろうけれど、留学生にはお手上げだよ。だから、僕はインドで日本のことを教える学校にも関わっているけれど、子供たちにはハッキリ言う。日本に留学すると、苦労するよ、ってね。」
クンナさんの言葉に、私（小田）は答えました。
「日本で雇ってくれる体制がなかったら、来るにも来れませんね。コンビニエンスストアとかのレジ係ならば、マニュアルでイラッシャイマセコンニチハだけ言っておけば、難しい日本語はいらない。全国のコンビニで、留学生を積極的に雇用するようになれば、少なくとも生活面では、日本で学ぶ条件ができあがるはずですね。」
しかしここまで小田が言ったら、「コンビニの社長に、知り合いがいる？」とクンナさんに言われてしまった。残念ながら、現在の夕映舎にはありません。クンナさんは、実業家としてあくまでも「自分が今すぐにでもできること、自分にも相手にも得になる事業であること。これをやるべきだし、これでなけりゃ続かないよ」と、私たちに指摘なさいました。
「私は、大人のインド人が日本に来てもらう機会を作るべきだと思う。現にこれまでもインドから料理人として何人も呼んでいます。大人が日本で職を得て、定着する。そうすると、やがて日本で所帯を持つ。子供が、日本で育つ。その子供が、日本の学校に入る。こうやって、日本で定着するインド人が、根を下ろすことができます。インドでもね、うんと能力のある子供たちはアメリカの大学に行きます。インドにも、レベルの高い大学はいくつもあります。そんな子供たちは、苦労するだけの日本留学なんか、選ばない。私は、それよりも日本で言えば中小企業の家庭とかの出身で、意欲はあるのに本国で十分力を発揮できない子弟たちを、日本に留学させる戦略のほうが有効だと思う。そのためには、インドに居ながら日本語の予備勉強ができるように、日本の学校から現地に教師を送り込んで子弟を募集育成する必要がありますね、、、」
クンナさんとの間に、話題は尽きることがありませんでした。あっという間に、冬の日は暮れて、帰らなければならない時間となってしまいました。
「－ナマステ！(Namaste!, नमस्ते)]
インドでは、両手を合わせてこの挨拶をするのが基本。「ナマステ」の原義はサンスクリット語で「ご挨拶します」という意味です。私たちは、クンナさんとスタッフの皆さんに、楽しい時間を過ごさせていただいたことを感謝して、「ナマステ！」と両手を合わせました。
このように、クンナさんは実業を通じて、インド人を日本に招待し、また日本人にインドを親しんでもらう事業を、着実に進めておられます。
そんな彼が日本に興味を持ったきっかけは、ご父君が経営されておられるホテルに宿泊する日本人旅行者の話に興味を持ったことだと言います。
少年時代、日本人旅行者たちから、いろいろと日本文化について教えてもらった。繰り返し訪れる旅行者には、日本のことを知るための文献などを持ってきてもらうように頼んだ。それで、持ち込まれた日本の情報を、インドにいながら勉強した。
それで、19歳のときに日本にやって来られたといいます。
以来、20年です。
クンナさんは、だからもちろん日本のことについて、詳しく知っておられます。
クンナさんは、悪い面など言いたくはない、と前置きしながらも、一つだけ日本人に不満な点を、挙げられました。
「昔の夢を、あきらめてしまうんだよね。若い頃に夢を持っていたがその時実現できなかった人でも、別の道をたどりながら夢に向かっていると考えなければならないんだ。だから、年を取ってから条件が揃えば、夢の実現に向かうべきなんだ。なのに、日本の人は『あれは若い頃のことで、もう終わったんですよ、、、』などと、すぐにあきらめてしまう。それが私には、分からないね。」
日本人は、新しいものを信仰のように尊ぶ心を持っている。
日本料理は、取れたての魚と山菜、搾りたての新酒、収穫したての新米を、いちばん重宝する。
そんな日本料理は、日本人の新しいものを尊ぶ心と、原理として一致していると私は思います。
日本人の新しいものを尊ぶ心は、世界中の最先端のものや珍しいものを貪欲に吸収する器用さの源泉となっているはずです。
しかし、その心の逆の面として、旬が過ぎて古くなったことに対して、さっさとあきらめてしまう持続力のなさを生み出していると、私は思います。
クンナさんは、そんなあきらめのよい日本人とは違って、実業という着実な核を育てながら、インドと日本のつながりを深めるという自分の使命を伸ばす活動を広め続けています。
インド料理は、スパイスという核を確固として持ち、その核から多様な料理に展開していく。
インドから生まれた仏教もまた、核となる教義から始まって、仏が多様な姿を展開する曼荼羅（まんだら）の世界を示します。
インド人の心もまた、インド料理と似ているのだろうか、などと益体もないことを、私は考えてしまいました。
（小田　光男）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN00611-1024x768.jpg" alt="DSCN0061" title="DSCN0061" width="500" class="alignnone size-large wp-image-1343" /></p>
<p>夕映舎は、２０１２年２月５日（日曜日）、奈良県大和郡山市にあるインド料理店「サンタナ」を訪問して、店主で「<a href="http://www.minnanominami.com/contents/santana/news.html">インド日本友の会</a>」の設立者であられる<a href="http://www.minnanominami.com/contents/santana/kunna.html">クンナ・ダッシュさん</a>とお会いしました。<br />
訪問者は、夕映舎舎長の住田正則、夕映舎パートナーの小田光男、およびヤマウラデザイン事務所の山浦一輝紀の三名でした。<br />
（上の写真で、右から住田、山浦、クンナ・ダッシュさん、小田。）</p>
<p>クンナ･ダッシュさんに私（小田）が初めてお会いしたときの印象は、「時代劇の松平健に似てるな！」でした。<br />
後でクンナさんのウェブサイトを拝見したら、やっぱり松平健のそっくりさんとしてテレビにも出ておられた。<br />
日本人にとってインド人と聞けば、たいてい肌の黒い人々であるという先入観があります。<br />
しかし、実際のインド人は、きわめて多様な人々です。クンナさんのような、一見すると日本人のイメージするインド人に見えない方が、精力的に日本の中でインドを紹介し、インドと日本のつながりの輪を広めようとしておられる。私たち日本人は、インドというスケールの大きな国はまた多様で奥が深いのだ、ということをもっと知らなければならないでしょう。</p>
<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN0049-300x225.jpg" alt="DSCN0049" title="DSCN0049" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1331" /></p>
<p>「<a href="http://www.minnanominami.com/contents/santana/naraindia2009_map.html">サンタナ</a>」は、現在大和郡山市内に２店あります。<br />
一店はJR郡山駅前にあり、ヨガ教室が併設されています。<br />
今回私たちがクンナさんとお会いしたのは、もう一店の発志院町西の店舗です。<br />
ちょっと電車で行くのは不便な位置なので、わざわざスタッフの方が車でお迎えしていただきました。</p>
<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN0053-300x225.jpg" alt="DSCN0053" title="DSCN0053" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1333" /></p>
<p>「サンタナ」の本式インド料理をいただきながら、午後１時から５時までの長い時間に渡って、私たち三名はクンナさんとお話させていただきました。</p>
<p>むずかしい話はまず置いといて、何はともあれ日本人にとってのインドの魅力は、カレーでおなじみのインド料理です。<br />
最初に、寒い日だったので、カップ一杯のマサラチャイをいただきました。<br />
マサラチャイとは、インド式のミルクティーであるチャイに、スパイスの風味を効かせたものです。<br />
スパイスのほのかな刺激がお茶の甘みとよく合って、たいへんな美味でした。</p>
<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN0052-300x225.jpg" alt="DSCN0052" title="DSCN0052" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1332" /></p>
<p>次に、これもおなじみのタンドリーチキン、それから魚と豆のフライが出されました。<br />
「豆のフライは、インドの『かき揚げ』。インド料理はカレーばっかりと思われてるけれど、このようにもっといろいろあることを、皆に知ってもらいたいですね」とクンナさん。</p>
<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN0055-300x225.jpg" alt="DSCN0055" title="DSCN0055" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1334" /></p>
<p>ナンはインド式のパンで、これもすでに日本でおなじみです。<br />
しかし、クンナさんの店では、このナンを生地にしたピザをメニューにしています。後ろはほうれん草のカレーです。<br />
クンナさんは、関西から中京地方のスーパーマーケットと提携して、冷凍ナンとクンナさんのブランドの本格インド式レトルトカレーを卸していて、現在も事業拡大中です。<br />
「日本のカレーライスは、中身が違うけれどベースは全部同じ。インドのカレーは、こんなふうにいろいろな色と味があるのです。こちらのカレーはトマトベースで、辛くない。お子様でも食べることができる。今日は、辛くないカレーからちょっと辛いカレーまで、揃えてあるよ。今どきのレストランとか居酒屋とかは、一つの店で和・洋・中華なんでも揃えるようになっている。昔と違って、不況でお客さんがわざわざ専門店で高いお金を払うよりも、安い店で済ませればいいじゃんと考えているからね。そんなところに、チェーン店とかが各店に本式のインド料理を置いて、そこにナンを美味しく焼くインド人の職人を雇うようになれば、インド人の雇用の枠が一挙にできるよ。私なんかは、この事業を通じてインドから料理人さんを日本に大勢、連れてきましたよ。」</p>
<p>クンナさんは、日本に来て２０年。この間、一経営者として着実に歩んでこれられた。<br />
そんな彼の話は、終始地に足を着けた実業に基づいた、しっかりとしたものでした。<br />
この日本で実業を通じてインドと日本とのつながりを広めるというテーマを実現させようとする姿勢を、クンナさんの話から感じることができました。</p>
<p>山浦君はトマトベースのカレーに、住田君はほうれん草のカレーに、それぞれ舌鼓を打っていました。<br />
出されたナンとサフランライスは、カレーと共に私たちの胃袋に次から次へと消費されていきました。</p>
<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN0058-300x225.jpg" alt="DSCN0058" title="DSCN0058" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1335" /></p>
<p>クンナさんと私たちは、インドと日本の関わりの現状と将来から、私たちとのビジネスの話題まで、長々と話す機会を持つことができました。<br />
「日本の大学は、トップが学生を集めたいから、留学生を呼びたいと言う。だけど、呼ぶだけ呼んで、4年間満足に暮らせないんじゃ、来たってしょうがないじゃん。留学生は、生活と学費のために最低限のお金がいる。だけど、日本語ができない学生が稼ぐことができる職場が、日本にはない。授業は、多くが英語でやってくれないし、日本語でやる授業でも、せめて漢字にルビを振ってくれたらよいのに、多くの先生たちがそんな配慮をしたがらない。ましてや、字体を崩した特殊な漢字とか黒板に書かれたら、どうだろう？そりゃあ日本語に慣れた日本人ならばわかるだろうけれど、留学生にはお手上げだよ。だから、僕はインドで日本のことを教える学校にも関わっているけれど、子供たちにはハッキリ言う。日本に留学すると、苦労するよ、ってね。」<br />
クンナさんの言葉に、私（小田）は答えました。<br />
「日本で雇ってくれる体制がなかったら、来るにも来れませんね。コンビニエンスストアとかのレジ係ならば、マニュアルでイラッシャイマセコンニチハだけ言っておけば、難しい日本語はいらない。全国のコンビニで、留学生を積極的に雇用するようになれば、少なくとも生活面では、日本で学ぶ条件ができあがるはずですね。」<br />
しかしここまで小田が言ったら、「コンビニの社長に、知り合いがいる？」とクンナさんに言われてしまった。残念ながら、現在の夕映舎にはありません。クンナさんは、実業家としてあくまでも「自分が今すぐにでもできること、自分にも相手にも得になる事業であること。これをやるべきだし、これでなけりゃ続かないよ」と、私たちに指摘なさいました。<br />
「私は、大人のインド人が日本に来てもらう機会を作るべきだと思う。現にこれまでもインドから料理人として何人も呼んでいます。大人が日本で職を得て、定着する。そうすると、やがて日本で所帯を持つ。子供が、日本で育つ。その子供が、日本の学校に入る。こうやって、日本で定着するインド人が、根を下ろすことができます。インドでもね、うんと能力のある子供たちはアメリカの大学に行きます。インドにも、レベルの高い大学はいくつもあります。そんな子供たちは、苦労するだけの日本留学なんか、選ばない。私は、それよりも日本で言えば中小企業の家庭とかの出身で、意欲はあるのに本国で十分力を発揮できない子弟たちを、日本に留学させる戦略のほうが有効だと思う。そのためには、インドに居ながら日本語の予備勉強ができるように、日本の学校から現地に教師を送り込んで子弟を募集育成する必要がありますね、、、」</p>
<p>クンナさんとの間に、話題は尽きることがありませんでした。あっという間に、冬の日は暮れて、帰らなければならない時間となってしまいました。</p>
<p>「－ナマステ！(Namaste!, नमस्ते)]<br />
インドでは、両手を合わせてこの挨拶をするのが基本。「ナマステ」の原義はサンスクリット語で「ご挨拶します」という意味です。私たちは、クンナさんとスタッフの皆さんに、楽しい時間を過ごさせていただいたことを感謝して、「ナマステ！」と両手を合わせました。</p>
<p>このように、クンナさんは実業を通じて、インド人を日本に招待し、また日本人にインドを親しんでもらう事業を、着実に進めておられます。<br />
そんな彼が日本に興味を持ったきっかけは、ご父君が経営されておられるホテルに宿泊する日本人旅行者の話に興味を持ったことだと言います。<br />
少年時代、日本人旅行者たちから、いろいろと日本文化について教えてもらった。繰り返し訪れる旅行者には、日本のことを知るための文献などを持ってきてもらうように頼んだ。それで、持ち込まれた日本の情報を、インドにいながら勉強した。<br />
それで、19歳のときに日本にやって来られたといいます。</p>
<p>以来、20年です。<br />
クンナさんは、だからもちろん日本のことについて、詳しく知っておられます。<br />
クンナさんは、悪い面など言いたくはない、と前置きしながらも、一つだけ日本人に不満な点を、挙げられました。<br />
「昔の夢を、あきらめてしまうんだよね。若い頃に夢を持っていたがその時実現できなかった人でも、別の道をたどりながら夢に向かっていると考えなければならないんだ。だから、年を取ってから条件が揃えば、夢の実現に向かうべきなんだ。なのに、日本の人は『あれは若い頃のことで、もう終わったんですよ、、、』などと、すぐにあきらめてしまう。それが私には、分からないね。」</p>
<p>日本人は、新しいものを信仰のように尊ぶ心を持っている。<br />
日本料理は、取れたての魚と山菜、搾りたての新酒、収穫したての新米を、いちばん重宝する。<br />
そんな日本料理は、日本人の新しいものを尊ぶ心と、原理として一致していると私は思います。<br />
日本人の新しいものを尊ぶ心は、世界中の最先端のものや珍しいものを貪欲に吸収する器用さの源泉となっているはずです。<br />
しかし、その心の逆の面として、旬が過ぎて古くなったことに対して、さっさとあきらめてしまう持続力のなさを生み出していると、私は思います。<br />
クンナさんは、そんなあきらめのよい日本人とは違って、実業という着実な核を育てながら、インドと日本のつながりを深めるという自分の使命を伸ばす活動を広め続けています。<br />
インド料理は、スパイスという核を確固として持ち、その核から多様な料理に展開していく。<br />
インドから生まれた仏教もまた、核となる教義から始まって、仏が多様な姿を展開する曼荼羅（まんだら）の世界を示します。<br />
インド人の心もまた、インド料理と似ているのだろうか、などと益体もないことを、私は考えてしまいました。</p>
<p>（小田　光男）</p>
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		<title>Winter, mountains, and snow</title>
		<link>http://www.yueisya.com/english-diary/winter-mountains-and-snow/</link>
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		<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 02:04:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Berumotto</dc:creator>
				<category><![CDATA[英語日記English Diary]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.yueisya.com/?p=1322</guid>
		<description><![CDATA[
Japanese archipelago keeps taking a cold weather now.
In the temperate zones on the globe it is the rule that every year they have
cool or cold winter seasons.
When I try to point out what is conspicuous for Japan&#8217;s winter, though, I&#8217;d like to say that it has so thick snowfall.
Why does Japan have so much snow [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/P1140011-300x224.jpg" alt="Hira Mountains" width="300" height="224" class="alignnone size-medium wp-image-1323" /></p>
<p>Japanese archipelago keeps taking a cold weather now.<br />
In the temperate zones on the globe it is the rule that every year they have<br />
cool or cold winter seasons.<br />
When I try to point out what is conspicuous for Japan&#8217;s winter, though, I&#8217;d like to say that it has so thick snowfall.<br />
Why does Japan have so much snow in winter? &#8211; The reason lies in its<br />
geographical features.<br />
Japan is struck by a very cold seasonal wind in winter blown from Siberia.<br />
It blows from the continent through Sea of Japan, and while it passes<br />
through the sea water it gets wetter and wetter.<br />
The cold but wet wind lands on Japan, and when it collides against high<br />
mountains of Japanese archipelago it turns into so much snowfall.<br />
Because of such a feature of Japan&#8217;s geography, we have different<br />
weathers between northern and southern sides of mountains in Japan.<br />
Now I live in Kyoto, western Japan.<br />
Kyoto has a rather cold winter, but it hardly sees much snowfall and dry<br />
days continue here.<br />
Only 50 kilometers up northward from Kyoto, however, this year it snows<br />
heavily in San-in and Hokuriku Regions (山陰・北陸地方).<br />
Between Kyoto and San-in and Hokuriku Regions there are mountains that<br />
part two of the weathers.</p>
<p>Japanese mountains with white snow are beautiful, though.<br />
I&#8217;d like to pick up the beauty of snowy mountains as one of the most<br />
beautiful landscapes of Japan.<br />
White mountains can be seen even from many big cities in Japan. Many cities<br />
lie near mountains in Japan.<br />
As for Kyoto where I live, we can see Hira mountains (比良山地) covered with<br />
glittering snow to the north, when I stand at the place called Toba (鳥羽),<br />
southern part of the city.<br />
From Toba we can see Kamo River (鴨川) flow through Kyoto City, Mount Hiei<br />
(比叡山) stand in the foreground, and Hira mountains glittering with snow on<br />
the background.<br />
The total landscape of these river, city, and mountains in winter is nice,<br />
I think.<br />
Once upon a time Toba had a gorgeous detached palace of the Imperial House,<br />
around a thousand years ago.<br />
Now there is no palace left, but mountains and rivers remain.<br />
Standing at Toba in 21st Century I can imagine how ancient nobles enjoyed<br />
the landscape from the palace that once stood here.</p>
<p>(Oda Mitsuo : Yueisya/JITEN)</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>Hatsumode</title>
		<link>http://www.yueisya.com/english-diary/hatsumode/</link>
		<comments>http://www.yueisya.com/english-diary/hatsumode/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 04 Jan 2012 04:53:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Berumotto</dc:creator>
				<category><![CDATA[英語日記English Diary]]></category>

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		<description><![CDATA[
On January 3rd I and Sumida Masanori of Yueisya visited Fushimi Inari Shrine (伏見稲荷大社). It is the top shrine of so many &#8220;Inari (稲荷)&#8221; shrines all around Japan. And so many people visit it in Oshogatsu (お正月) to pray for their good fortunes of this year. To visit and pray in shrines or temples in [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN0027-300x225.jpg" alt="DSCN0027" title="DSCN0027" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1315" /></p>
<p>On January 3rd I and Sumida Masanori of Yueisya visited Fushimi Inari Shrine (伏見稲荷大社). It is the top shrine of so many &#8220;Inari (稲荷)&#8221; shrines all around Japan. And so many people visit it in Oshogatsu (お正月) to pray for their good fortunes of this year. To visit and pray in shrines or temples in Oshogatsu is Japanese tradition, that is called &#8220;Hatsumode (初詣)&#8221; </p>
<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN0022-300x225.jpg" alt="DSCN0022" title="DSCN0022" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1311" /></p>
<p>At first I and Sumida planned to climb up tnrough pillars of red Torii (鳥居) gates that lead to the peak of Inari Hill (稲荷山). This path is called &#8220;Senbon Torii (千本鳥居)&#8221; &#8211; one thousand torii gates.</p>
<p><img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/DSCN0026-300x225.jpg" alt="DSCN0026" title="DSCN0026" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1313" /></p>
<p>But, as the picture shows, it was also so crowded that we could hardly advance. So we gave up to climb Senbon Torii. My residence is near Fushimi Inari, so there can be any chances for me to try again.</p>
<p>(Oda Mitsuo, YouAT/JITEN)</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>New Year 2012</title>
		<link>http://www.yueisya.com/english-diary/new-year-2012/</link>
		<comments>http://www.yueisya.com/english-diary/new-year-2012/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 31 Dec 2011 15:00:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Berumotto</dc:creator>
				<category><![CDATA[英語日記English Diary]]></category>

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		<description><![CDATA[From the end of last December, Japan has been struck by cold weather.
Japan has conspicuous four seasons &#8211; hot summer, cold winter, and pleasant
spring and autumn.
In Kyoto, mountains around the city are covered by white snows now. Half
years ago it was very hot in the same place, but winter chilliness rules
in turn.
In this winter nearly [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>From the end of last December, Japan has been struck by cold weather.<br />
Japan has conspicuous four seasons &#8211; hot summer, cold winter, and pleasant<br />
spring and autumn.<br />
In Kyoto, mountains around the city are covered by white snows now. Half<br />
years ago it was very hot in the same place, but winter chilliness rules<br />
in turn.</p>
<p>In this winter nearly 90% of nuke stations in Japan are out of operation.<br />
That is the outcome of suspicion to nuke power by people after 3/11 great<br />
earthquake and Fukushima disaster.<br />
So when winter comes, the authorities once again demand people to refrain<br />
from using electricity in excess. It is the same as last summer.<br />
I can&#8217;t almost endure Japanese summer&#8217;s hotness.<br />
And I am of more patience with Japanese winter&#8217;s chilliness. Although<br />
chilly, winter in mainland Japan is not so severe. But from the end of<br />
December I can&#8217;t help turning on a heating machine in my room at night.<br />
I can&#8217;t refrain from using electricity when that spares me catching a<br />
cold.</p>
<p>Anyway, today is new year&#8217;s day of 2012.</p>
<p>As you know, today is &#8220;Oshogatsu(お正月)&#8221; in Japan.<br />
Oshogatsu is the most important festival season in Japanese calendar,<br />
like Christmas for western cultures, Chunjie (春節) for Chinese culture,<br />
Seollal for Korean, Diwali for Indian culture, etc.<br />
Once upon a time, the date of Oshogatsu was the same as Chinese Chunjie<br />
or Korean Seollal.<br />
When Meiji restoration came in the middle 19th century, Japan adopted<br />
western calendar instead of traditional eastern calendar. Oshogatsu<br />
moved to January 1st after that.<br />
Contemporary Japanese also call Oshogatsu &#8220;Shinshun (新春)&#8221;, that means<br />
&#8220;a new springtime&#8221;.<br />
But January 1st in Japan is chilly, and there is no springtime around<br />
here.<br />
When we celebrated Oshogatsu according to traditional calendar, it was<br />
around 1 month later.<br />
After 1 month from now, daytime gets longer, and Ume (梅) flowers start<br />
to blossom. That matched the word of &#8220;a new springtime&#8221;.</p>
<p>Although Japan is still  in a chilly weather, I&#8217;d like to greet you:</p>
<p>- Shinshun akemashite omedeto gozaimasu!<br />
- 新春あけましておめでとうございます(A happy new springtime)！</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>第37回　2011.12.25発行～アティスコンサルティング株式会社　米田　茂さん</title>
		<link>http://www.yueisya.com/kyo/2011-12-25-2/</link>
		<comments>http://www.yueisya.com/kyo/2011-12-25-2/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 25 Dec 2011 01:58:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Berumotto</dc:creator>
				<category><![CDATA[われら起業家炎のリレー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.yueisya.com/?p=1299</guid>
		<description><![CDATA[☆ごあいさつ
メリークリスマス！！
　日本列島がかつてないほどの大災害に見舞われた２０１１年も、残すところあと数日となりました。暦の区切りというものは、もちろん人間が作ったものですから、地球という天体の悠久の営みとは本来何の関係もないことです。しかし、ひとりのちっぽけな人間として、来る年こそは悲しい事件や事故・災害が起こらず、人々が少しでも多く幸せを感じることができる１年になるよう、願わずにはいられません。
　さて、先月号でもご案内しましたとおり、２００７年１１月より発行を開始しました本メールマガジンですが、今回の３７号をもって、いったん休止することといたします。
　途中に休止期間を含みながら、足かけ５年にわたっておつきあいいただきました読者の皆さまには、心より感謝申し上げます。本当に、ありがとうございました！
　メールマガジンは休止いたしますが、「ひとが大事。」「一億総社長！」をモットーとする夕映舎（すみだ行政書士・社会保険労務士事務所）の活動は、もちろんこれからも続いていきます。現状では、介護事業や福祉関連のＮＰＯ法人が主対象になっていますが、起業支援・経営サポートに引き続き全力をかけて取り組んでまいります。
　介護・福祉に限らず、どのような業態の方でも大歓迎です！　起業を志す方がおられましたら、ぜひお気軽にお問合せください。私の力の及ぶ限り、精一杯サポートさせていただきますので・・・。
　特に、今年の夏に設立しました合同会社ＹｏｕＡＴにおきましては、外国人の方の起業・経営を全面的にバックアップする事業を進めていく予定です。ＹｏｕＡＴには、英語・中国語での対応が可能なスタッフもおりますので、必ずお役に立てるものと思います。もしも皆さまの周りにそのような方がおられましたら、私たちのことを教えてあげてくださいね。どうぞよろしくお願いいたします。
☆アティスコンサルティング株式会社　米田　茂さん
　今回ご紹介するのは、アティスコンサルティング株式会社の米田　茂さんです。
　米田さんは、いかにも九州男児という感じの、おだやかで、しかも力強い印象を与えてくださる方です。起業からわずか９年目にして、既に会社を２つ設立し、税理士・行政書士の資格をツールとして京都・大阪でコンサルティング事業を展開されておられます。今月にはオフィスを移転され、私が取材させていただいた頃よりもさらに広いオフィスに移られたそうです。関連士業の端くれである私（来年が開業５年目・・・）からすれば、もうどうにも、舌を巻く思いです。
それでは米田さん、よろしくお願いいたします！
メルマガURL：http://archive.mag2.com/0000249226/20111225003854000.html






















]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>☆ごあいさつ</p>
<p>メリークリスマス！！</p>
<p>　日本列島がかつてないほどの大災害に見舞われた２０１１年も、残すところあと数日となりました。暦の区切りというものは、もちろん人間が作ったものですから、地球という天体の悠久の営みとは本来何の関係もないことです。しかし、ひとりのちっぽけな人間として、来る年こそは悲しい事件や事故・災害が起こらず、人々が少しでも多く幸せを感じることができる１年になるよう、願わずにはいられません。</p>
<p>　さて、先月号でもご案内しましたとおり、２００７年１１月より発行を開始しました本メールマガジンですが、今回の３７号をもって、いったん休止することといたします。</p>
<p>　途中に休止期間を含みながら、足かけ５年にわたっておつきあいいただきました読者の皆さまには、心より感謝申し上げます。本当に、ありがとうございました！</p>
<p>　メールマガジンは休止いたしますが、「ひとが大事。」「一億総社長！」をモットーとする夕映舎（すみだ行政書士・社会保険労務士事務所）の活動は、もちろんこれからも続いていきます。現状では、介護事業や福祉関連のＮＰＯ法人が主対象になっていますが、起業支援・経営サポートに引き続き全力をかけて取り組んでまいります。<br />
　介護・福祉に限らず、どのような業態の方でも大歓迎です！　起業を志す方がおられましたら、ぜひお気軽にお問合せください。私の力の及ぶ限り、精一杯サポートさせていただきますので・・・。<br />
　特に、今年の夏に設立しました合同会社ＹｏｕＡＴにおきましては、外国人の方の起業・経営を全面的にバックアップする事業を進めていく予定です。ＹｏｕＡＴには、英語・中国語での対応が可能なスタッフもおりますので、必ずお役に立てるものと思います。もしも皆さまの周りにそのような方がおられましたら、私たちのことを教えてあげてくださいね。どうぞよろしくお願いいたします。</p>
<p>☆アティスコンサルティング株式会社　米田　茂さん</p>
<p>　今回ご紹介するのは、アティスコンサルティング株式会社の米田　茂さんです。<br />
　米田さんは、いかにも九州男児という感じの、おだやかで、しかも力強い印象を与えてくださる方です。起業からわずか９年目にして、既に会社を２つ設立し、税理士・行政書士の資格をツールとして京都・大阪でコンサルティング事業を展開されておられます。今月にはオフィスを移転され、私が取材させていただいた頃よりもさらに広いオフィスに移られたそうです。関連士業の端くれである私（来年が開業５年目・・・）からすれば、もうどうにも、舌を巻く思いです。</p>
<p>それでは米田さん、よろしくお願いいたします！</p>
<p>メルマガURL：<a href="http://archive.mag2.com/0000249226/20111225003854000.html">http://archive.mag2.com/0000249226/20111225003854000.html</a></p>
<p><!--本ちゃん写真、なければ"photo/nophoto.jpg"埋め込む--><br />
<img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/2011-11-11-022-224x300.jpg" alt="アティスコンサルティング株式会社　米田　茂さん" width="224" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-1302" /><br />
<span id="more-1299"></span></p>
<table>
<tr>
<td height="180px" width="220px">
<!--追加写真その１-->
</td>
<td>
<!--追加写真その２-->
</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td>
<!--追加写真その３-->
</td>
<td>
<!--追加写真その４-->
</td>
</tr>
</tr>
</table>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>New Residence</title>
		<link>http://www.yueisya.com/english-diary/new-residence/</link>
		<comments>http://www.yueisya.com/english-diary/new-residence/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Nov 2011 22:49:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Berumotto</dc:creator>
				<category><![CDATA[英語日記English Diary]]></category>

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		<description><![CDATA[From the end of November I moved my residence near Tofuku-ji, Higashiyama-ku, Kyoto.
Until then I had lived near the neiborhood of Gion, some kilometers north of my new residence.
In my days of Gion, I used to hear a Buddhist bell struck at Kodai-ji, which is a famous temple near Gion, on every evening of 5 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>From the end of November I moved my residence near Tofuku-ji, Higashiyama-ku, Kyoto.<br />
Until then I had lived near the neiborhood of Gion, some kilometers north of my new residence.<br />
In my days of Gion, I used to hear a Buddhist bell struck at Kodai-ji, which is a famous temple near Gion, on every evening of 5 o&#8217;clock PM.<br />
Almost at the same moment, monks&#8217; voices of reciting Buddhist sutras used to start to be popped in my room. Voices were heard from another temple just next to my apartment, Juhon-ji, whose sect is Nichiren Shoshu (日蓮正宗).<br />
Their voices of reciting sutras are accompanied by the rhythm of beating a Buddhist drum, that sounds low-pitched, regular, and simple.</p>
<p>Now I live just next to the large complex of Tofuku-ji, which consists of many branch temples around the head temple.<br />
In the start of the evening, we can also hear sound of a Buddhist drum from there.<br />
But its sound is interestingly different than that of Juhon-ji.<br />
The drum of Tofuku-ji has an elaborate rhythm, with distinct accent and changeable speed. That is almost artistic. I had the impression of that way when I first heard it.</p>
<p>Tofuku-ji belongs to the sect of Zen (禅).<br />
In the history of Japanese Zen its followers had pursued to set their minds free from any conventions and fixed ideas of human, that they thought the essence of the enlightenment of Buddha.<br />
Zen followers saw artistic activities important with a free mind. Its achievements were, for example, Sho-do (書道: calligraphy), Sa-do (茶道: way of tea), and many kinds of drawings.<br />
I can feel the tradition of Zen activity going on even nowadays when I hear Tofuku-ji&#8217;s artistic sound of drum.<br />
Nichiren, on the other hand, was a monk who started his own sect in the same age of the beginning of Japanese Zen.<br />
He tried to spread his interpretation of Buddhism into ordinary people with simple doctrine, that was sharply different than the way of Zen, that could only be shared by sophisticated persons.<br />
Nichiren Shoshu is one of the downstream sects that see their founder Nichiren. I think that the simple sound heard from Juhon-ji fits well its founder&#8217;s religious policy.</p>
<p>(Oda Mitsuo, YouAT GK)</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>第36回　2011.11.25発行～株式会社エー・アイクリエーション　谷口　愛さん</title>
		<link>http://www.yueisya.com/kyo/2011-11-25/</link>
		<comments>http://www.yueisya.com/kyo/2011-11-25/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 26 Nov 2011 07:48:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Berumotto</dc:creator>
				<category><![CDATA[われら起業家炎のリレー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.yueisya.com/?p=1285</guid>
		<description><![CDATA[☆ごあいさつ
あれよあれよという間に、今年もあと１か月あまりとなりました。個人的には、ここ数年よりも少しだけ気ぜわしい年の瀬になりそうです。とは言っても、業務上の節目のボリュームが、わずかに増したというだけのことで、特に華々しいことも何もないのですが・・・。
読者の皆さまに、お知らせがあります。誠に勝手ではございますが、本メールマガジン『われら起業家・炎のリレー』は、来月の発行をもって休止させていただきたいと思っています。
決して、起業家の方々を支援したい、起業家精神が日本に根付いてほしい、という当初の思いが色あせたからでも、関心が別に移ったわけでもありません。世の中の人々それぞれが、それぞれの創造性を発揮し、さまざまな色の創意工夫が世の中を彩っていくことを夢見ない日はありません。
しかし、いまは私自身も、数人の信頼できるパートナーとともに、新たにベンチャービジネスを立ち上げたところであり、どうしてもその方向から起業とか、起業家といった存在を考えがちになってしまっています。これは、行政書士・社会保険労務士という法律の専門家として独立したときに、世の起業家の方々に対して抱いた感覚とは、やはり異なるものです。
誰か（何か）を人に伝えようとするときは、伝える者は対象物からいくばくかの距離をおく必要があると思いますが、それが困難となったので、いったん起業家インタビューはお休みしようと思った次第です。
いまは、改めて起業家としての門口に立った自分がどこに行くのか、どこまで行けるのかも定かではないような、そんなワクワク感でいっぱいではあります。
☆株式会社エー・アイクリエーション　谷口　愛さん
　今回ご紹介するのは、株式会社エー・アイクリエーションの谷口　愛さんです。
　谷口さんは、実に波乱万丈な半生を送って来られた方で、家庭の事情で１５歳でホステスになり、その後アメリカの大学に留学、優秀な成績を収め、そこで培った実力と人脈を活かして、現在は主に中東と日本をつなぐコンサルティングを行っておられます。なにしろパワフル！　このメールマガジンが発行される頃には、またもアブダビへの旅の空にいることでしょう。
それでは谷口さん、よろしくお願いいたします！
メルマガURL：http://archive.mag2.com/0000249226/20111125000000000.html
























]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>☆ごあいさつ</p>
<p>あれよあれよという間に、今年もあと１か月あまりとなりました。個人的には、ここ数年よりも少しだけ気ぜわしい年の瀬になりそうです。とは言っても、業務上の節目のボリュームが、わずかに増したというだけのことで、特に華々しいことも何もないのですが・・・。</p>
<p>読者の皆さまに、お知らせがあります。誠に勝手ではございますが、本メールマガジン『われら起業家・炎のリレー』は、来月の発行をもって休止させていただきたいと思っています。<br />
決して、起業家の方々を支援したい、起業家精神が日本に根付いてほしい、という当初の思いが色あせたからでも、関心が別に移ったわけでもありません。世の中の人々それぞれが、それぞれの創造性を発揮し、さまざまな色の創意工夫が世の中を彩っていくことを夢見ない日はありません。<br />
しかし、いまは私自身も、数人の信頼できるパートナーとともに、新たにベンチャービジネスを立ち上げたところであり、どうしてもその方向から起業とか、起業家といった存在を考えがちになってしまっています。これは、行政書士・社会保険労務士という法律の専門家として独立したときに、世の起業家の方々に対して抱いた感覚とは、やはり異なるものです。<br />
誰か（何か）を人に伝えようとするときは、伝える者は対象物からいくばくかの距離をおく必要があると思いますが、それが困難となったので、いったん起業家インタビューはお休みしようと思った次第です。</p>
<p>いまは、改めて起業家としての門口に立った自分がどこに行くのか、どこまで行けるのかも定かではないような、そんなワクワク感でいっぱいではあります。</p>
<p>☆株式会社エー・アイクリエーション　谷口　愛さん</p>
<p>　今回ご紹介するのは、株式会社エー・アイクリエーションの谷口　愛さんです。<br />
　谷口さんは、実に波乱万丈な半生を送って来られた方で、家庭の事情で１５歳でホステスになり、その後アメリカの大学に留学、優秀な成績を収め、そこで培った実力と人脈を活かして、現在は主に中東と日本をつなぐコンサルティングを行っておられます。なにしろパワフル！　このメールマガジンが発行される頃には、またもアブダビへの旅の空にいることでしょう。</p>
<p>それでは谷口さん、よろしくお願いいたします！</p>
<p>メルマガURL：<a href="http://archive.mag2.com/0000249226/20111125000000000.html">http://archive.mag2.com/0000249226/20111125000000000.html</a></p>
<p><!--本ちゃん写真、なければ"photo/nophoto.jpg"埋め込む--><br />
<img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/谷口愛さん1.jpg" alt="株式会社エー・アイクリエーション　谷口　愛さん" title="株式会社エー・アイクリエーション　谷口　愛さん" width="300" height="224" class="alignnone size-full wp-image-1288" /><br />
<span id="more-1285"></span></p>
<table>
<tr>
<td height="180px" width="220px">
<!--追加写真その１--><br />
<img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/谷口愛さん2.jpg" alt="株式会社エー・アイクリエーション　谷口　愛さん" title="株式会社エー・アイクリエーション　谷口　愛さん" width="300" height="224" class="alignnone size-full wp-image-1289" />
</td>
<td>
<!--追加写真その２--><br />
<img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/谷口愛さん3.jpg" alt="株式会社エー・アイクリエーション　谷口　愛さん" title="株式会社エー・アイクリエーション　谷口　愛さん" width="251" height="169" class="alignnone size-full wp-image-1291" />
</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td>
<!--追加写真その３-->
</td>
<td>
<!--追加写真その４-->
</td>
</tr>
</tr>
</table>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>I will chane my address</title>
		<link>http://www.yueisya.com/english-diary/i-will-chane-my-address/</link>
		<comments>http://www.yueisya.com/english-diary/i-will-chane-my-address/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 31 Oct 2011 01:01:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Berumotto</dc:creator>
				<category><![CDATA[英語日記English Diary]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.yueisya.com/?p=1280</guid>
		<description><![CDATA[I(Oda) decided to change my address next month.
It will be another place in Kyoto, where I live.
Now my address is near the neighborhood of Gion (祇園).
Gion is a district with a long history, that developed from within the
precinct of Kennin-ji(建仁寺), a famous Zen temple.
Next mont I will start to live near Tofuku-ji (東福寺), another famous
Zen [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>I(Oda) decided to change my address next month.<br />
It will be another place in Kyoto, where I live.<br />
Now my address is near the neighborhood of Gion (祇園).<br />
Gion is a district with a long history, that developed from within the<br />
precinct of Kennin-ji(建仁寺), a famous Zen temple.<br />
Next mont I will start to live near Tofuku-ji (東福寺), another famous<br />
Zen temple.<br />
The name of Tofuku-ji was taken from Todai-ji(東大寺) and Kofuku-ji(興福寺), two old and influential temples in Nara.<br />
The name of Tofuku-ji implies its magnificence that can match the preceding great temples.<br />
Indeed, its precinct was once quite large.<br />
Now it has shrunk to today&#8217;s size, but still is boasts a rich complex of<br />
buildings.<br />
Tofuku-ji has many elegant Sekitei(石庭), gardens with stones and sand.<br />
Plus it pleases visitors for scenery with famous tinted leaves in deep<br />
autumn.<br />
This autumn it has been more hot than warm, so probably leaves will get tinted late.<br />
I expect I will be able to meet beautiful scenery around Tofuku-ji when I move there.</p>
<p>(Oda Mitsuo, JITEN/Yueisya &#038; Asia no Tofu)</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>第35回　2011.10.25発行～株式会社ベビログ　板羽　宣人さん</title>
		<link>http://www.yueisya.com/kyo/2011-10-25/</link>
		<comments>http://www.yueisya.com/kyo/2011-10-25/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 25 Oct 2011 08:56:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Berumotto</dc:creator>
				<category><![CDATA[われら起業家炎のリレー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.yueisya.com/?p=1272</guid>
		<description><![CDATA[☆ごあいさつ
雨のために時代祭が一日順延となり、そのおかげで（？）、昨日初めて時代祭の行列を間近で見物しました。もう１５、６年も京都に住んでいるのにお恥ずかしい限りですが・・・。
その前日には、NICe関西の頭脳交換会が行われ、関西圏のみならず、東京・名古屋からもご参加する方々がおられ、おかげさまで盛況でした。
NICeが標榜する“つながり力”は、東日本大震災でかつてないほどの被害を被り、いままたTPPという名の国際金融資本の大波をかぶろうとしている我が国において、切実なほどに必要とされるものではないかと考えています。
５年後、１０年後、１００年後も、日本が日本であり続け、そこに住む人々が変わらず幸せであり続けますよう、願わずにはいられません。大げさでしょうか。いえ、いまはまさにそうした正念場、時代の転換点に立っていると言って過言ではないのです。
☆株式会社ベビログ　板羽　宣人さん
今回ご紹介するのは、株式会社ベビログ　板羽　宣人（いたば・のりと）さんです。
板羽さんは、社名にもなっている「ベビログ（子供の成長という幸せな瞬間瞬間を記録し、家族で思い出を共有することも目的にしたサービス）」をはじめとした複数のメディアの運営など、「インターネットメディア事業」「Ｅコマース事業」「ＷＥＢプロモーション支援事業」を軸として事業展開を行っておられます。
板羽さんのブログによると、今年の夏は暑い大阪を避けて、北海道のニセコに長期滞在されたとか・・・。まさにネット企業ならではの利点を活かした“ノマドワーキング”の実践ですね！　お子さんも奥さんも、そしてもちろん板羽さん自身も、とても楽しく過ごされたことが伝わってきて、まことにうらやましい限りです（笑）。
でも本当に、「家族の幸せが、社会の幸せ」という板羽さんのモットーを地で行くライフスタイルであり、素晴らしいと思いました。
それでは板羽さん、よろしくお願いいたします！
メルマガURL：http://archive.mag2.com/0000249226/20111025000000001.html






















]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>☆ごあいさつ</p>
<p>雨のために時代祭が一日順延となり、そのおかげで（？）、昨日初めて時代祭の行列を間近で見物しました。もう１５、６年も京都に住んでいるのにお恥ずかしい限りですが・・・。<br />
その前日には、NICe関西の頭脳交換会が行われ、関西圏のみならず、東京・名古屋からもご参加する方々がおられ、おかげさまで盛況でした。<br />
NICeが標榜する“つながり力”は、東日本大震災でかつてないほどの被害を被り、いままたTPPという名の国際金融資本の大波をかぶろうとしている我が国において、切実なほどに必要とされるものではないかと考えています。<br />
５年後、１０年後、１００年後も、日本が日本であり続け、そこに住む人々が変わらず幸せであり続けますよう、願わずにはいられません。大げさでしょうか。いえ、いまはまさにそうした正念場、時代の転換点に立っていると言って過言ではないのです。</p>
<p>☆株式会社ベビログ　板羽　宣人さん</p>
<p>今回ご紹介するのは、株式会社ベビログ　板羽　宣人（いたば・のりと）さんです。<br />
板羽さんは、社名にもなっている「ベビログ（子供の成長という幸せな瞬間瞬間を記録し、家族で思い出を共有することも目的にしたサービス）」をはじめとした複数のメディアの運営など、「インターネットメディア事業」「Ｅコマース事業」「ＷＥＢプロモーション支援事業」を軸として事業展開を行っておられます。<br />
板羽さんのブログによると、今年の夏は暑い大阪を避けて、北海道のニセコに長期滞在されたとか・・・。まさにネット企業ならではの利点を活かした“ノマドワーキング”の実践ですね！　お子さんも奥さんも、そしてもちろん板羽さん自身も、とても楽しく過ごされたことが伝わってきて、まことにうらやましい限りです（笑）。<br />
でも本当に、「家族の幸せが、社会の幸せ」という板羽さんのモットーを地で行くライフスタイルであり、素晴らしいと思いました。</p>
<p>それでは板羽さん、よろしくお願いいたします！</p>
<p>メルマガURL：<a href="http://archive.mag2.com/0000249226/20111025000000001.html">http://archive.mag2.com/0000249226/20111025000000001.html</a></p>
<p><!--本ちゃん写真、なければ"photo/nophoto.jpg"埋め込む--><br />
<img src="http://www.yueisya.com/wp-content/uploads/IMG_1448-235x300.jpg" alt="株式会社ベビログ　板羽　宣人さん" title="株式会社ベビログ　板羽　宣人さん" width="235" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-1277" /><br />
<span id="more-1272"></span></p>
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<tr>
<td height="180px" width="220px">
<!--追加写真その１-->
</td>
<td>
<!--追加写真その２-->
</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td>
<!--追加写真その３-->
</td>
<td>
<!--追加写真その４-->
</td>
</tr>
</tr>
</table>
]]></content:encoded>
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		</item>
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