― 住田さんは行政書士なのですけれど、私みたいな部外者から見れば、行政書士と弁護士との違いがよく分からないのが現状なのです。
住田 あー、なるほど。
― そこで、住田さんの言葉で、行政書士とはどのようなことを仕事としているのかという点を、ひとつかいつまんで話していただけないでしょうか。
住田 そう、、、ですね。法律上でどのように規定されているかはさて置き、簡単に言えば、争いごとを含んだ事件の解決に当る、これが弁護士の仕事でして、それ以外の、広く世の中のいろんな相談事や手続きごとに当るのが、行政書士の仕事だと考えてよいと思うのです。日本やったら弁護士とか行政書士に限らず、なんとか士かんとか士といろんな士業とかがあって、確かに部外者から見たら区別がつきにくい。でも、これらは士業の内部で仕事の区分を分けているだけのことでして、たとえば相談したいこととか困ったことなんかがあったら、気軽に声をかけてくださればよいと思うのですよ。行政書士なんかは、敷居が低い立場なのでして、何でも聞いていただけたらと、思っております。
― 敷居が低い、とおっしゃいますが、逆に言えば弁護士は敷居が高いと。
住田 高いですね。
― その理由は、たとえば依頼料の関係とか?
住田 端的に言えば、それですわ。お金のことだけで見てはならないんですけれど、相談料一つ取っても一ケタ違う。もちろん弁護士は、それだけの理由があってしかるべき報酬を規定していまして、それは必要な額なのですけれどね。額だけではなくて、弁護士の人数も限られている。その限られた人数で、果たして世の中のどんだけの問題をカヴァーできるのかな、と。その一方で行政書士は、弁護士ほどには高い報酬額が設定されていません。そんなわけで、事務所開いている行政書士は敷居が低くて、最初にどうやろ?って相談するのには手ごろな窓口ではないかな、と私は思うんですよ。
― 弁護士法の七十二条というものがありますね。これに対する解釈が分かれていると、聞きました。一般に事件性必要説と事件性不要説とがあって、不要説の立場に立ったならば、いわゆる行政書士のする仕事の大抵は弁護士の専業範囲となってしまいかねないという、、、
住田 そういう問題は、ありますね。実際に七十二条に関しては、いろいろなケースが起きています。
― 行政書士を有名にした漫画に『カバチタレ!』がありますね。あれに対しても、一部で批判があると聞きましたが。
住田 ありますね。確かに弁護士の立場から見ると、明らかに弁護士の専業範囲に入り込んでしまっている。そういうふうに、見られかねないのですわ。
― だけど、行政書士という仕事は、見方を変えればそこまで行こうと思えば行けてしまう、つまり弁護士と仕事が連続していて、、、
住田 連続してますね。
― 連続している。そこの線引きが実はあいまいであって、日々の細かい案件を掬っていって、人と人との紛争や問題を積極的に取り扱っていくのが、行政書士なのではないかと。それが訴訟性のある案件に発展すれば、いずれ弁護士に渡さなければならないのでしょうが。
住田 そう思いますね。あと不動産とか、会社の登記手続になりますと、それもまた我々の専業範囲を超えてしまって隣接の司法書士とか土地家屋調査士に委ねなければならない。しかし、一般の利用者の方々から見れば、実はこんな線引きは不要なものかもしれない。だけど法的にはこういった分担が定められていて、各士業の分担によって仕事をするように規則化されている。その規則には則って、仕事はしていかなければならない。だけれども、行政書士というものは、七十二条の問題も含めて、灰色的な領域が周辺に多いというのも事実なんです。だからといって、これだけしかできないんだ、というふうに凝り固まってしまっては今の法律に則って動いている日本の世の中がスムーズに動いていかないと思うんです。そのためにも、我々のような立場の人間が必要であるし、いろんな領域に広げていって、解決できるところは解決し、別の士業に委ねるところは委ねていくように仕事をしていかないかんと思いますね。そのためにも、他の士業とか同業の方々とのネットワークが今まで以上に必要やし、作っていかなあかんと思うんです。

住田代表、徳島市眉山にて。
― よくわかりました。ところで、住田さんは行政書士と共に社労士も持っておられますね。
住田 はい。
― 社労士といえば、私も会社にいた時代に会ったことがありますけれど、一般的なイメージでは労使契約のセッティングなり、年金システムのコンサルタントといったところが業務内容としてピンと来るんです。会社と連動した仕事というのが、私なんかのイメージなのですけれど、住田さんは個人で社労士をやろうとしておられる。
住田 そうですね。
― では、その目指すものといえば、、、
住田 まあ、、、社労士関係で申せば、私の仕事としてはまだまだこれからの業務なので、青写真に過ぎない。もちろん、会社の中に入り込んでの労務案件とか給与計算、保険関係などもこなしていかなくてはならないと思っておりますが、それにプラスといいますか、やはり「人が大事」な世の中だと思うんですよ。言葉にしてみれば当たり前のことだと思うんですけれど、まず人間がいてお互いをいかに豊かに生かし合っていくか、その目的のために会社があって、社会が存在していると思うんです。口はばったい言い方かもしれませんが、よりよい組織のあり方、会社のあり方、そして個人のあり方を作っていくために一助になれれば、と思っています。社労士の業務に関しましては、キャリアコンサルタントの活動も始めておるところですが、単に学校卒業後に就職を一回すればそれでレールを進めるような世の中では、もはやなくなっている。一人一人が生き方を含めた働き方を考えていかなくてはならない世の中に、なりつつある。むしろ自然な生き方に近づいているのかも、しれませんが。なので、よりよい働き方といった点を考えるためには、一人一人のキャリアといった面にも踏み込んでいかんとあかんだろう、と思うんですよ。そこで、キャリア相談や一人一人に合ったキャリアデザインを介して、組織のあり方を仕事としてやらしていただければ、こんなに幸せなことはないと思うんです。
― その辺が、テーマの「ひとが大事。」ということですね。
住田 そう、「ひとが大事。」
― 会社にも関わりながら、会社の中の働いていく個人を大事にしていく。
住田 そうですね。
― キャリアといえば、終身雇用が崩れていって、一人一人が否応なしにキャリアを考えていかざるを得ない時代が来ていると、言われます。しかし私が思うのはですね、日本では特に大企業というのが、人材を繋ぎとめるために至れり尽せりの対策をますます用意していく傾向があります。アメリカなどでは非常にそうで、日本の企業でもこの傾向は止まることはないであろうと。そうすると、大企業にいる人と普通の人との情報の差というものが、どんどん拡がっていくのではないか。
住田 拡がるでしょうね。
― 拡がっていく中で、大企業のエスタブリッシュメントの中にいる人というのは、まあ放っておいても考えるであろうと。しかし、もう一方の極にいる人は、どうすればよいのか。住田さんは、この一方の人たちに向けて、働きかけていこうと思っておられる?
住田 そうですね。まさに情報格差の話でいくと、大企業のような福利厚生の行き届いている組織では、それこそ専門家で言えば顧問の弁護士が何人も付いていて、会計の専門家、労働問題の専門家、もっと言えばメンタルヘルスの専門家まで抱えている場合がよくあるわけです。もちろんそういった組織内でのケアももちろん考えていかなくてはならないんですけれど、私個人の役割としてはそちらではなくって、個人や中小企業といった方面に軸足を置いていきたいし、いかざるを得ない。情報格差の弊害を薄めるためにも、そこに勤めている、一つ一つは小さい会社でも九十何パーセントの日本の会社や労働者のシェアを占めている部門に働きかけていく人というのは、もっともっと必要やと思うんですよ。そこで仕事をすることによって人と関わることによって、私個人もどんどん経験を積んでいきたいと思っているんです。

住田代表、香港ヴィクトリアピークにて。
原点としての農業
― 今の住田さんは、こうして京都で生活し、大阪で働いているわけですが、軸足として前々から農業に関心を持っていきたいと、言っておりましたね。
住田 はい。
― 今も、やはり考えておられる?農家の支援とか、、、
住田 自分の家が農家で、親父も今まだ明るい農村をやっているぐらいですので、思いはあるんですよ。私もまた、そういったものを前面に出していきたい気は山々なんです。ただし今のところはまだ自分の体制が整っていないところがありまして、具体的な着手まではいっておりません。
― 将来的には、、、
住田 将来的には、していきたいです。ちょっと話がずれるんですけど、食糧問題っていうのはもうそんなに遠い将来ではなく現実のものになると思うんですよ。そうなってからでは遅い。何とかそれを解決するような、少しでも農業や食料の問題をよい方向に向けるような手伝いが法律家としてできないものか。それは、常に思っていることです。

― 今農業には、なり手がどんどんなくなっていますね。
住田 そうですね。
― 農業には、何が足りないのであろうか。仕事としてやっていけるだけの体力が、なくなっているのだろうか。農業でも、職業として稼ぎさえあれば、例えばフリーターのような職業に較べても決してひけを取らないはずだと思うんですよ。いわゆる日本は、工業力で非常に優れている。それは、技術があるからです。技術というものは国民に備わっているものでして、世界的に見ても、工業で優れている国というものは、農業においても優れているものなんです。
住田 なるほど。
― それは、国民に技術の下水準があるからなのですよ。だから、日本という国は潜在的に言って、農業が弱いはずがない、と私は思うんです。何かが、邪魔をしている。何が邪魔をしているのかと言えば、それは行政・政府なのではなかろうかと。今回(二〇〇七年七月)の選挙でも、二大政党が農業政策についてマニフェストを出しておりました。民主は、農家への所得補償。自民は、農業の集約化であると。民主か自民かという党の選択は置いとくとして、住田さんはどちらの政策を支持しますか?
住田 (政治の話だから、一定の留保は置くとして、、、)思いの丈を申しますと、今回の民主の案にはびっくりしました。それはある意味、自民がよく言われているように小泉以来市場原理主義に突っ走っているという現状に対する対立軸を打ち出すことがようよう出来てきたんかな、とは思う。思うんだけど、その対抗案が、、、バラマキかいや、と。それはちょっと、愕然としましたね。ようやく今、日本の政治にも対立軸が見えて来た。いや昔から対立軸はあったんですけど、その片方がこれまで箸にも棒にもかからんかったのが、ようやく力が付いてきたのかな、と。そうして争いができるようになったのは、ある意味で喜ばしい。でも、私としては、まだ集約化の方に賛成したいですね。バラマキでは、決して農業はよくならんですよ。今までの農政とは、何だったのか。それが分かっていて、補償金という名のバラマキをしてそれで農業を良くしようと言うんだったら、それも意見かもしれませんが、僕は反対ですね。
― 逆にね、これから参入するかもしれない潜在的な世代から見たら、行政につっかい棒をさせられているような産業に果たして入りたいと思うかどうか。
住田 よくないですね。それは、今までも散々失敗しているわけやから。
― だから、自営主としてきちんと経営させれば、日本の農業は決して外国にひけを取らないのではないかと思うんですけれど。
住田 そう思いますね。
― 自営していけば生産性でも技術でもひけを取らないということを、もっと重点的に啓発していかなければならないのではないか。それができれば、農家だって一経営者になるわけですから、そういった人々に対して行政書士としても助けていけるのではないか。
住田 そうですね。経営者の話でいくと、平成十七年度から農業の会計が変わりました。今までは、一般の会社がやる会計とか決算のやり方と全く違っていたんですよ。ドンブリ勘定でやりなさい、っていうことを税務上の規則に載せていたくらいなんです。それだけアイマイで雑な会計の上に成り立っていたということは、つまり雑な経営しかしてこなかったということなんです。何でそれで成り立ってきたかといえば、それは補助金があったり、行政のささえがあってはじめて成り立っていたわけなんです。それはいかん。そういうわけで、会計のやり方が変わりました。だがそうは言うても、私がリサーチしたところでは、農村の中でもまだまだ一般の企業向けの会計基準を満たしている農家は、そんなに多くないかもしれない。もともと農業が盛んであった東北とか北海道とかだったらそうでもないんだけれども、私の田舎は愛媛ですが、愛媛の農家はまだまだ意識のレベルが上がっていない。結局、農協におんぶにだっこ。相談会という名のもとに、適当な財務項目を作って帳面をこしらえておると。こんな状況です。しかし、あかんわけですよ。これでは。意識を変えていかなくてはならないんで、厳しい言い方になるけれども、それはもう淘汰されても仕方ない部分があるんですよ。でも、それだけでは本当に農業がすたれる一方になる。なんですたれるのかと言えば、さっき鈴元さんが言っていたように、新規の人が入ってこないからです。入ってくるところに、障壁が大きすぎるんです。それを、どう取っ払うか。今、ようやく農水省も取っ払うことに力を入れ出して、株式会社にも農地の取得を認めようとか、農業法人の設立要件を簡単にしようとか色々やっているんです。この流れになっていくでしょうね。
― 株式会社が農業を行なうようなことすら、今までできていなかったと。
住田 まあ、それは昔の食糧危機なんかで痛い目に会った記憶があったからで、食管法が改正されてようやく十五年ぐらいですが、まだまだですね。
― 住田さんは、愛媛ですね。
住田 愛媛です。
― 愛媛と言えば、今でもミカンですが、例えば台湾なんかに行ったら、いろんなフルーツがある。グアバとかパッションフルーツとか、シャカトウとか、、、日本っていう国が不思議なのは、フルーツの数が少ないんじゃないかと思うんですよ。
住田 あー。
― 実際これだけ暑いし(注:この日は本当に暑かった!)、いろんなものが作れるはずなのに、何とかの一つ覚えといったら悪いですけれどミカンばっかりなのかなあ、と。隣の宮崎でマンゴー作ってますが、もっといろんなフルーツ栽培に挑戦してもいいような気がするんですけれど、、、やはり上からの指導で栽培したのが今だに続いているのかなあ、と。
住田 そう、、、ですね。その話を突っ込んでいくと本当に専門外になってしまうんですけれど、やはり一つ思うのは農協というのは諸刃の剣でして、集団的な農業が効を奏して戦後日本の農業が立ち直ったというのは、確かにあるんですよ。でも片方では画一的となったり、新規の参入を阻んでしまったり、マイナスの部分も多くなっている。個人的には農協はもうつぶすべきだと思うんですけど、背景にはそういった事情があるのですかね。

夕陽と関西と京都
― 農業はこれぐらいにして、話題を変えることにしましょう。住田さんは、愛媛出身。高校まで愛媛で、東京の大学に行って、それから関西。
住田 ええ。
― そういった郷外人が関西に今居着いているわけですが、これからも拠点を関西に置かれるつもりなんでしょうか。
住田 そうですね、、、私の連れ合いが、こちらの出身者でもあるし。そもそも夕映舎という名前そのものが、法律業に限らず二人でいろんな商売をやっていこうと思って付けた屋号なんです。ですから、京都を離れることはあるかもしれませんが、これからも関西圏に居続けることになるでしょうね。
― 夕映舎というと、瀬戸内の夕陽ですか。大阪湾の夕陽、、、
住田 そうですね。愛媛出身ということで、、、年齢的なこともあるんでしょうけれど、自分の中でやっと(故郷について)消化できたというか、向き合えるようになったというべきか。向き合ってみて考えて、瀬戸内の夕陽は綺麗かったなあ、と。非常にバカなことばっかり、言ってますけれど(笑)。それで、夕陽の見える関西圏のどっかに引越しをしたいという、気持ちはあります。京都がいやというわけでは、ないんですが。

― この浄土寺には、十年。
住田 まる十年、ですね。その前に一年ぐらい岡崎にいて、そこの雰囲気が良かったので京都に住むのもいいかな、と考えて。それがきっかけで。
― すぐ裏に、疏水が流れていますね。
住田 流れていまして。
― 夏の夜になると、ホタルが飛んで。
住田 飛んでいますね。春は桜、秋はそこを上がっていたところにある、永観堂の紅葉とか。
― 冬なんかは、そこの今出川通りから見れば、愛宕山に雪が積もっていたり。
住田 そうですね。雪も最近少なくなりましたが。とにかく、季節を身近に感じられてええところですわ。
― 関西にはね、インパクトのある景色に乏しい。富士山とか。あれは、新幹線の車窓から眺めるとすごいですよ。誰でも驚かせるものがある。関西には、そういったものはない。綺麗な景色はいっぱいあるんですけれどね。この辺もそうですね。関西のよい所っていうのは、昔からの伝統が作り上げた人工的な美なのではないかなと、思うんですよ。この京都でも、人の力が作り上げた伝統の美というものが、日本の中でもいちばん残されている地域なのではないでしょうか。

住田 伊達に歴史を積み重ねるわけではないぞ、というところですね。確かに京都に住んでいる人の性質で言いますと、表立ってはっきり言わないというか、意図を伝えない奥ゆかしさがあったり、逆にそういうものに私が惑わされたりっていうことは、よくありました。
― 今でも、そう感じる。
住田 今でも、、、感じますね。さきほどの農村とはまた違う世界なんですが、いま西陣千本商店街というところに関わることになって、それを振興するためにどうすればいいかとお手伝いをしているところなんです。京都の中でも、西陣、上七軒のあたりっていうのは、代々商家として続いている人が多い。商店の店主さんたちも生まれた頃からやっているわけでして、三回お互いの知り合いをたどると、共通の知り合いに出会ってしまう。そんな、非常に血が濃いというか、そんな土地やと思うんですよ。だから、外から見た京都人っていうのか、はんなりとは言いながら本音は言わずに言葉には裏が必ずあるという感じが、濃いところですね。私は最初それが苦手で、今でも得意じゃないんですが。
― 面白いな。代々の商店といいますと、どのぐらい古いんですか。
住田 もちろん室町ぐらいからあるのかもしれませんが、そこまで詳しくは知りません。私がよく聞くのは、明治ぐらいからですね。実際その頃から、栄えていたんですよ。戦前から戦後すぐにかけてが一番にぎやかやったらしくて、あの狭い界隈に映画館が六件も建っていたという。いま四条河原町は京都の一番の繁華街ですけれど、そこにも引けを取らんぐらい栄えていたようなんです。だから明治から考えれば、三、四代は続いているということになるでしょうね。
― 戦前は、河原町に匹敵していたと。すごいですね。
住田 よほど、糸ヘン産業が盛んだったということなんでしょうね。農業とはまた違った意味で、伝統に固執するわけではないんですけれど、郊外に大型店ができて、日本全国モータリゼーションが進んでスプロール化が広まった。そうしてどこが中心なのかわからない都市ができて、同時に農村は農村、都会は都会という区別もなくなってしまった。農村にもともとあったかもしれない良さなんかも、ほとんどの場合失われてしまっているわけです。じゃあそれをよりよく変えていって、人間らしい生き方を進めていくとなれば、農業には農業のやり方があるだろうし、昔ながらの商店街についてはそれなりのやり方があると思うんです。

「ひとが大事。」から始めよう。
住田 そういったことを、法律家だからこうするというのではなくて、「ひとが大事。」っていうのは今もずっと思っていることなんですが、お手伝いをさせていただきながら、自分自身も成長していきたいと。そういった理想を持っているのと同時に、農業もそうですし、商店街なんかは地域コミュニティーの核になるものだと思うんですが、そういうものの復権復興の手助けをしていけたらな、と強く思うんですよ。法律家がそういうことをするのではなくて、そういうことをする人間がたまたま法律家であった、となるのが一番の理想ですね。というのは、法律家っていうのは、先程も申しましたように、八つの士業に分かれちゃってる。これは、内部におる人間はともかくとして、外部から見たら何が何やよくわからないと。便利性がないんです。そういった状況で、内部におる人間が、私は行政書士だからこうしなければならないんです、司法書士だから、、、などと凝り固まってしまったら、それは外部から利用する人に対しては、不便というかそっぽを向いていることに他ならない。そうじゃない。働きかけのアプローチは、人それぞれやと思うんです。会社を助ける、節税をやっていく、っていうのも、一つのアプローチでしょう。あるいは社労士が助成金を獲得するためのお手伝いをする、っているのも一つ。弁護士なんかは、もっと分かりやすい。士業っていうのは、もちろんそれぞれが専門の職種として磨いていかなあかんのです。でも、それぞれ自分たちのアプローチがあって、たまたまそこに自分の専門職種があるっていう捉え方のほうが、より利用する一般の人たちに向いた仕事になれるんじゃないかな。こんなふうに、思うんです。
